警察署で、父は敬礼された。——認知症の父が納得して免許返納できた『主治医作戦』
義実家の免許返納バトル(→姑Ver.※現在も格闘中 と 舅Ver.)を延々と続ける中で、ふと思い出すことがあるんだよね。
——そういえば、うちのお父さんは、ちゃんと手放してくれたよなぁ~・・・って。
今回は、そんなお話。
認知症と診断された父が、揉めずに、納得して、免許を返納できた記録。
同じ問題で消耗しているご家族に、何かひとつでも持って帰ってもらえたら嬉しいです。
父も、最初は「返せん!」だった
先に言っておくと、うちのお父さんも、最初はまったく納得していなかったんだよね。「そろそろやめた方がいいんじゃない?」が効かないのは、どこの家も同じ。
車は誰にとっても“自由の象徴”だし、一家の大黒柱としての尊厳そのものでもあるもんね。
それを自分の娘から突きつけられるのは、耐え難いことだったということはわかる。
もちろん、まだまだ自分は大丈夫・バカにすんなって気持ちもあるしね。
運転手を生業にしてた訳じゃないけど、二種免許や大型・あと他にも持ってたし。大型特殊かけん引だったか?いろいろ持っていたので、誰よりも自信をもってたのもあったし。
それに、お父さんには素直に「うん」と言えない切実な事情もあって。母が長期入院していて、お父さんはその見舞いを、長年にわたって2週間おきに続けていたの。車なら1時間半で着く距離。でも電車とバスを乗り継ぐとなると、高齢の身にはなかなかのハードルの高さで一日がかりになっちゃう。
自分の通院だったり、他にも色々とやっている人だったから日常的に車は使っていたものの、それでも手放せない理由として、「おかあさんの病院に行かなくちゃならんから、免許は返せん!」と頑なに言い続けたんだよね。
昔は「早く返納した方が気が楽」なんて言ってた人が、いざとなったら、こう。やっぱり、そうそう決断できるものじゃないな、と。
うーん・・・ やっぱりことは簡単じゃない。
「どうやったら、納得して手放せるか」から考えた
とはいえ、認知症とわかったからには、目を瞑るわけにはいかない。主治医の先生に「運転もやめさせた方がいいですか?」と聞くと、「そうなるのが一番だけど。逆走とかの危険もあるからね。やめて貰うのはなかなか難しいとは思うけど」と。
ここでわたしが考えたのは、「どう説得するか」ではないな、と。無理に迫っても、感情で押しても、お父さんは頑なになるだけ。だから問いを変えてみた。「どうやったら、お父さんが“納得して”手放せるか?」。
で、出した結論が——“先生から言ってもらおう”作戦。
わたしがどれだけ言っても、お父さんの中では「娘の小言」にしかならない。でも、お父さんが心から信頼している主治医の先生の言葉なら、お父さんにちゃんと響いて届くんじゃないか、って。
結果は主治医との連携プレイ、成功。
幸い、お父さんと先生は相思相愛でした。先生は、「ぼく、●●さんの人柄、好きだもん」って言ってくれるような方だったので。
提案すると、先生は快く引き受けてくれて、診察の最後に、ふわっとこう言ってくれました。
「もう運転、そろそろ卒業してもいい頃かな〜って思うよ。娘さんも心配してるけど、僕も心配だし。どう? 卒業してみるのは?」
それに対して、お父さんは。
「……あー、そうですねぇ。そうかぁ・・・。 まぁ… 先生がそう言うんじゃ、やめるしかないですねぇ」
私は、その結果にあんぐり。 (でも、手元はガッツポーズ)
「自分で決めた」という感覚を大切にしたかったし、そうしたらおそらく未練も残りずらいと思ったから立てた作戦だったけど、こうもすんなりうまくいくとは驚きだった。
「先生が言うならしょうがない」って、言い訳を与えてあげたのがよかったんだろうな、って。
まぁ でも この時のお父さんの表情は、ちょっと寂しそうではあったけど、でもどこか清々しい感じがしたんだよね。
その後、ケアマネさんたちから、「どうやって車をやめさせられたの???」ってすごく聞かれたんだけど
みんな、どこのご家庭もとにもかくにも車をやめることが何より難しいんだな、って痛感したな。
けじめの返納手続きへ
それからのお父さんは、家に車があっても一切乗らなくなったんだよね。乗りたいとも言わなくなった。
言ったことも忘れて車に乗ろうしたりするんじゃないのかな?って心配もしたけど、本当に何もなかった。
不思議だよね。今日は何日だ?って一分もしないうちに聞きなおしたりしてくるのに、そういうことは忘れないんだなって。
ちなみに・・・
車は乗らない、と約束しただけで返納手続きはまだしてなかったの。
だから、このまま更新せずに自然失効させることもできたんだけど・・ でも、それはなんだか、お父さんに対して失礼な気がして。何十年の運転人生への敬意として、けじめをつけさせてあげたいなと。「免許返納の手続き、する?」と聞くと、「する」と言うので、一緒に警察署へ行くことに。
警察署は、免許更新の高齢者でいっぱい。でも、返納に来ていたのは、わたしたちだけ。
「まだ運転する」「まだ行ける」と思っている人たちの列は、正直、少し怖かった。明らかに運転は無理でしょう、という方もいて、対応する警察の方も大声を張り上げながら苦慮している。そんな中でお父さんは、手続きをしてくれる警察の方々に、とても丁寧に、敬意をもって接して貰っていました。
そして、まさかのサプライズ
手続きが終わったときです。奥から、副署長さん(らしき方)がわざわざ出てきて、父に向かって——敬礼をしてくれたのです。
「長年にわたって、安全運転をありがとうございました!」
そう言いながら、ぴしっと敬礼してくれて、頭を下げてくれた。
お父さんも、今まで見たことないくらいにピシっと立って「今までお世話になりました。ありがとうございました」と頭を下げてお礼を言う姿に
わたし・・・ 泣くかと思った。
誇らしげなお父さんの顔を見て、ああ、ちゃんと返納させてあげられてよかった、と。
返納って、権利を失うことじゃなくて、「ここまで頑張ってきた自分」への卒業証書なんだなと。これ、卒業式じゃん、って。お父さんも、少し照れながら、でもうれしそうにしてたなぁ。
うちの地元が田舎だからなのか、たまたまなのか、いつものことなのかはわからないけれど。でも、いいなあ、と心から思ったんだよね。
この経験から言える、5つのこと
同じ問題を抱えているご家族向けに、父のケースから言えることを整理しておきます。
- 正論と感情で押さない。押すほど、相手は尊厳を守るために頑なになる
- 本人が信頼している第三者から言ってもらう。うちは主治医。家族の言葉は「小言」でも、信頼する人の言葉は「助言」として届く
- 「自分で決めた」形を守る。取り上げられたのではなく、卒業を選んだ、という物語を本人の中に残す
- 降りるための言い訳を用意してあげる。「先生が言うならしょうがない」——この一言が、本人の面子を守る
- けじめの儀式をする。自然失効ではなく、返納手続きに同行する。長年の運転人生に、ちゃんと敬意で幕を引く
で、この話を義両親にしたら
——という、こんないい返納の形があるんだよ、という話を
わたし、義父母にも、もちろん伝えてみた。
姑すそこ様の反応は、こうでした。自分のこととして受け取らず、「おとうさん、どうなん?」と、舅ウニ男さんに雑に話を振る。
ウニ男さんは、「ふん」と鼻で笑って、そっぽを向く。
以上です。
いつもそう。「みーぬちゃんのお父さんはどうだったん?」って雑に話を振ってきて、聞いた割に、自分にとって面白くなければ、簡単にスルーするんだよ、この方たちは。
ああ、この方たちは、自分が傷つきたくないだけなんだな、と哀れに思ってます、わたしは。
同じ話が、届く人には届いて、届かない人には届かない。父と義父母の違いが何だったのか、正直、わたしにもまだ答えはわかんない。ただ、届かないからといって、言うのをやめるつもりもないけどね。
だから最後に、いつか届くと信じて、ここにも書いておきます。
「今までありがとう。そろそろ、バトンを渡すタイミングだよ」
それは単に「終わり」じゃないんだよね。「次のステージ」への入り口というか。
うちのお父さんの、あの照れくさそうで誇らしげな顔が、その証拠だったな、って今でも思い出されます。

