「戦いの武器が、大砲じゃとオルガンなんよ!」——隠されていた事故は、正月のリビングで発覚した
今回は、少し時間を巻き戻します。まだ、姑すそこ様の認知症が表面化する前。「認知症っていわれたんじゃー」の告知劇場(→第2話)より数ヶ月前の、年末年始の帰省でのお話です。
第2話で「ちょっと前に近所での自動車接触事故を起こしたりもしていて…」と、さらっと一行だけ書いた、あの事故。今回はその全記録——というか、あの事故がどうやって発覚したかの記録です。
リビングで、謎の大騒ぎ
帰省して、リビングに入ると。すそこ様が、何やら参考書のようなものを握りしめて、パニックになっていました。
「武器は大砲じゃろ。戦車じゃろ。機関銃と刀なんよ。戦いの武器が、大砲じゃと、オルガンなんよ… あぁ!!! 大変じゃ、大変じゃ! これをおかあさんは全部覚えにゃならんのよ!!!!」
……何事ですか?
戦いの武器って、なんですか?
正月のリビングに、大砲と戦車と機関銃と刀と、なぜかオルガンが飛び交っている。事情を聞くと、「免許の試験をまた受けにゃならんのよ!」と大騒ぎされているのでした。
……ん? なんで「今」?
ここで、わたしの中の観察ラボが起動します。
あれ? この人、誕生日は5月で、免許の更新はたしか去年済ませたはずでは……? なんで今、検査の話が出てくるの? しかも、この追い詰められ方は何?
で、事情を聞いていくと、義兄カツオくんが、ぽろり。
「おかんは、事故しよったんよ。まぁ、そんな大きなことじゃないんじゃけどな」
……え? 事故?? 初耳なんですけど??
わたしたちは、ずっと前から免許返納の話をしてきた側です。「だから、免許返納の話をしてるのに」——そう言うわたしたちに、すそこ様はカツオくんを一喝してかぶせてきました。「あんた、余計なこと言わんでええよ。たいしたことじゃないんよ」。
つまり、事故のことを、わたしたちには黙っているつもりだった。カツオくんがぽろっと言わなければ、こちらは知らないままでした。ちなみにカツオくんの温度が低いのは、この時点では認知症のことがまだ表面化していなかったから。家族の中で危機感ブザーが鳴っていたのは、わたしひとりだけの時期です。
「ちょっとまって! 事故ってなに?!」——独演会、開幕
そこから聞き出した事故の顛末が、こちら。すそこ様の語りを、ほぼ原文のまま記録します。
「ほら、あれじゃあ、近くのスーパーに行くんに、いつもなら家の前を通って行くんじゃけど、そのときはあれじゃなぁ、ほんまにいつもは通らん道を通りやったんよ。そうしたら、通りに出る時に、車が出てきよってなぁ。ちょっと、あれじゃあ、スピードもでとらんから、ちょっとコツンと当たったくらいのもんなんよ」
※当ラボ注:状況を整理すると、優先道路に出ようとしたのはすそこ様で、確認をせずに進んだのもすそこ様です。「車が出てきよって」ではない。
「おかあさんは、どこも身体は悪くないんじゃけど、あちらさんが、あそこが痛い、ここが痛いとかゆぅて、いろいろ言う人だったんよ。おかあさんが悪いいうて。まぁ、自動車保険で治療ができるからそう言って、今も通院しとられるみたいだけどなぁ。あんなんで、体が痛くなるわけもないんじゃけど、まぁ、そういう人もおられるよなぁ」
「でも、なんで、おかあさんはあの道をいつもは通らんのに、あのときだけ通ったんじゃろうかと、それが不思議なんよなぁ。おかあさんは運が悪かった。だから、あれじゃあ、ほんとうにたまたまのことで、運が悪かっただけなんよ。それに、おかあさんはあの道はとおらんのじゃから。だから、心配しなくても大丈夫なんよ」
当ラボによる、独演会の解剖
この語り、よくできてるんです。よく聞くと、どこにも「私の運転」が登場しない。
- 過失のすり替え——「車が出てきよって」。出て行ったのはご本人です
- 被害者の値引き——「あんなんで痛くなるわけもない」「そういう人もおられる」。相手を“大げさな人”に仕立てる
- 原因の外部化——悪いのは自分の運転ではなく「いつもは通らん道」。だから対策は「もうあの道を通らない」
- 総括は「運」——「たまたま」「ついてなかった」。反省の入る場所が、構造上どこにもない
事故の対策が「あの道を通らないこと」。……つまり、次にいつもの道で何かが起きたら、今度は「いつもの道が悪い」ことになるわけです。理論、破綻しまくりなのよ(-_-;)
独演会の中に、「自白」があった
で、パニックの本題に戻ります。なぜ今、検査なのか。すそこ様いわく。
「ほんまになぁ、ついてなかったんよ。別にたいした事故でもないんよ、ほんまに。ちょっと車がコツンと当たっただけのことなのに、事故したからとゆうて、またおかあさんはこの検査をしなきゃならんくなったんよ! この前、受けたんじゃけど、落ちてしもうて。今度はなにがなんでも受からんとならんのよ。だけど、おかあさんはこの検査が得意じゃないからなぁ。困ってしもうて。それで、もう、参考書を、ほれ、こうして買ってなぁ、もう丸ごと覚えるしかないんよ!」
——はい、ここ。本人は愚痴のつもりですが、ここが今日いちばん大事なところです。
75歳以上のドライバーは、信号無視や交差点での優先妨害といった一定の違反行為をすると、更新を待たずに「臨時認知機能検査」の受検が義務になります(制度の詳細は改正されることがあるので、正確なところは警察の窓口でご確認を)。
つまり、「事故したから、また検査を受けにゃならん」という呼び出しが来た、ということは——警察がこの事故を、すそこ様側の違反として処理したということです。「たまたま」でも「運が悪かった」でも、呼び出しは来ません。
「おかあさんは悪うない」という物語と、「また検査を受けにゃならん」という事実。本人の口の中で、真正面から衝突している。独演会が、そのまま自白になっていました。当時のわたし、この話を聞きながら、なんとも言えない気持ち悪さがあったんですが——正体は、これだったんです。しかも「この前受けたんじゃけど、落ちてしもうて」。呼び出された臨時検査に、すでに一回、落ちている。
丸暗記作戦——そして、オルガンの正体
というわけで、冒頭のパニックの正体は、再検査に向けた参考書の丸暗記作戦だったのでした。検査で出るイラストのパターンを、まるごと暗記して突破しようという。
で、その丸暗記の「やり方」が問題でした。冒頭の叫びを、もう一度見てください。
「武器は大砲じゃろ。戦車じゃろ。機関銃と刀なんよ。戦いの武器が、大砲じゃと、オルガンなんよ…」
解説します。この検査のイラストは、A〜Dの全4パターン・各16枚、計64枚。試験で出るのは、どれか1パターンだけです。だから対策するなら、普通は「Aパターンは、大砲、オルガン、耳、ラジオ、てんとう虫…」と、セット単位で覚えていく。まだ、それならわかる。
すそこ様の方式は、違いました。「たたかいの武器は、大砲、戦車、機関銃、刀なんじゃ」——カテゴリを軸に、4パターンを横断して64枚ぜんぶ覚える。その上で、「たたかいの武器が大砲じゃったら、そのときの楽器はオルガンなんじゃ」——つまり、思い出せた1枚からパターンを特定して、思い出せない残りの15枚を、頭の中の対応表から逆引きするという作戦です。
……それ、意味あります?(-_-;)
記憶力に不安のある人が、健常者でも音を上げる暗記アーキテクチャを、自主的に採用してる。まず、絶対に覚えられませんよ? それ。そして万一覚えられたとしても、答えは「見た記憶」ではなく「推理」で出てくる。そもそも、テストの意味をなしてない。
この無茶な設計図を、本人は大真面目に、追い詰められながら描いていました。滑稽さと切実さが完全に同居している場面として、記録しておきます。
で、ここで驚きの事実をひとつ。この丸暗記——実は、カンニングですらありません。出題イラスト(全4パターン)も、検査用紙も、採点方法も、進行要領まで、警察庁のホームページで公式に公開されています。「ダウンロードして検査を体験できます」という建付けです。つまり、事前に覚えること自体は、制度が公認している行為。すそこ様の発明でもなければ、ルール違反でもない。対策本も対策サイトも、堂々と流通しています。
ただ——だからこそ、話がねじれるんです。検査は「記憶力が保たれているか」を測るためのもの。その問題が事前に全公開されていて、丸暗記で通過できてしまったら、測りたいものが測れない。合法で、悪気もなくて、でも検査の意味だけが静かに消える。これは個人のズルの話ではなく、制度の設計の話。個人の問題である以上に、社会の問題です。
ただし、ここが肝心なんですが。対策本に手を伸ばすということは、素のままでは通らないと、自分でわかっているということです。記憶力の低下を自覚しているからこそ、丸暗記が必要になる。そしてこの国のルールでは、その状態に黄信号が灯る。つまり——参考書を買った、その瞬間に。検査より先に、答えは出てるんですよね。
そしてもうひとつ、そっと記録しておきます。すそこ様、家庭内のルールには誰よりも厳しい人です。決まりごと、しきたり、礼儀。普段は法令遵守も声高に語る。その人が、命に関わる肝心要のルールだけは、平気で迂回する。守るルールと守らないルールを、自分で選んでいる。
ちなみにその家庭内ルール、家族の了承を得て決まったものは、ひとつもありません。制定したのも、施行したのも、取り締まるのも、すそこ様。あの家では、国会も内閣も裁判所も、ワンオペです。
で、その光景を見ていたわたしの話です。本当は、何も言いたくなかった。運転をやめてほしい側の人間が、検査対策に口を出す筋合いはないので。でも、すそこ様はずっと参考書と睨めっこで、「おかあさんは大変なんよ」の被害者アピール独演会も止まらない。正直に書くと——その場を終わらせたかったのも、わたしの中にあったのかもしれません。
それで、言いました。丸暗記じゃなくて、今の自分の力で挑んでください、という意味で。対応表の逆引きなんてやめて、ひとつのパターンの絵を物語でつなげて覚えるほうが、まだ思い出せますよ、と。すそこ様、「なるほどなぁ」と感心しておられました。
(後日知ったのですが、この覚え方、検査対策サイト界隈では標準工法だそうです。正攻法を説いたつもりが、攻略サイトと同じことを言っていた嫁。難しいですね、この立ち位置)
この正月が、わたしの危機感を固定した
この時点では、認知症の話はまだ表面化していません。家族の誰も、事故を大事とは捉えていない。でもわたしの中では、この一連——隠されていた事故、理論破綻の独演会、そしてオルガンの混入——が、それまで感じていた「これは加齢じゃないのでは」という疑いを、確信の側へ大きく押しました。
同じ帰省で、こっそり確認したお薬の中にアルツハイマー型認知症の薬を見つけて(→第2話)、点と点が線になった。数ヶ月後の「認知症っていわれたんじゃー」の告知劇場は、わたしにとっては答え合わせでした。
同じ状況のご家族へ
この記録から言えることを、3つだけ。
- 事故は、隠されます。本人からの報告を待っていたら、永遠に来ません。帰省したら、車のキズ、見てください。あと、リビングの謎のパニックも、入口になります
- 認知機能検査は、丸暗記で対策されてしまいます。「検査に通ってるから大丈夫」は、安全の証明になりません。見るべきは検査結果ではなく、日々の運転の実態です
- 事故は、反省の材料になりません。うちの場合、言い訳の練習問題になりました。「何かあれば目が覚めるはず」の期待は、外れることがあります。説得で詰んだら、公的なルートへ(→安全運転相談窓口 #8080 の話)
ちなみに、納得して免許を手放せた例も、うちにはあります。わたしの父の話(→警察署で、父は敬礼された。)。同じ「免許」の話が、家によってここまで違う。その落差ごと、記録しておきます。
