嫁、覚醒す。

罪悪感の呪いを解け!「帰省しない嫁は薄情」という既成事実との闘い(既成事実からの脱却シリーズ②)

みーぬ

「連休の帰省はルール」義母の支配にNOを突きつけた日


いつのまにか、わが家には暗黙のルールがありました。
「長期連休は、すべて義実家で過ごす」

そして、それはある日、姑・すそこ様の口から明確な言葉となって高らかに第三者向けに宣言されたのです。

姑すそこ
姑すそこ

「すべての連休において息子たちが帰ってきてゴルフをするんが、うちのルールじゃからねぇ!」

……ルール? え、誰が? いつ? そんな就業規則、いつの間に??????????

ゴルフと帰省の抱き合わせコンボ。
断れない空気で巧みに誘導し、既成事実を着実に積み重ね、それがさも当たり前の正義であるかのように作り上げるすそこ様の匠の技。

そう、私たちは気づかぬうちに、人権を奪われていた・・・ のよね? これは。

見えない規約に私たちが同意のサインをしたかのように、いつの間にか結ばれていた望んでいない”連休は実家滞在が前提”のサブスク契約。すそこ様の愛がこもった衣食住のサービス付き。

いつの間にか契約させられてたんですけど、こちらの事務手続きゼロでしたよね?
解約したいのに、どこをどう探しても見つからない・・・。
本部へ電話をしないと解約できない仕組み?

いや・・・ 一回契約を結んだら途中解約できないタイプでした・・・
契約期間はエンドレス。
そこは一旦、加入すると簡単にはやめられないすそこ様の意思がまかり通る異次元の世界でした。

これは、そんな義実家の「既成事実」という名の支配に、私が初めてNOを突きつけた闘いの記録です。


発端:2023年GW、心身ともに限界だった私たち

コロナ禍が落ち着いてきた、2023年のゴールデンウィーク。
旦那ちゃんはこの数ヶ月、仕事が非常に忙しく、ろくな休みもない中、夜勤続きで心身ともにヘロヘロの状態でした。

そして私自身も、許容のキャパが限界を超えて溢れている状態でした。
度重なる義実家とのやり取りで神経をすり減らし、私の心はよどんだドロ水のように濁りまくり。
旅行どころか、お出かけもできないことが続いていて、気分転換できていないことがより状況を悪化させてました。

みーぬ
みーぬ

気が滅入り、いくら寝ても疲れが全然とれないぃぃぃ

私にとって旅行は、このドロ水を浄化し、リフレッシュするための欠かせない儀式なのです。

今までは「連休は高いし混んでるし…」と旅行を諦めていた部分も正直ありつつも・・・
しかし、普段の日常ですらどこへも行けない状況が、ついに私を突き動かしたのです。

みーぬ
みーぬ

ちょっと待てよ…?
なんで、私たちのGWの予定が義実家へ行く前提になってるんだ?

この小さな違和感が、すべての始まり。

はじめての反抗:みーぬの乱

私は、姑の思考を逆手に取った作戦を立ててみた。

「大事な大事な大好きな息子ちゃんが、疲れ切っている」
これを理由にすれば、「こっちのことは気にしなくていいから、ゆっくりしなさい」と、カッコつけて物分かりのいい姑を演出してくるのではないか?

私はだんなちゃんの現況を伝え、「今回は泊まりでの帰省はできないけれど、顔だけは見に行きますね」と、かなり譲歩した提案をLINEで送ってみた。

今までの既成事実によって、GWは義両親と過ごすものという価値観が蔓延化してる中で、攻撃を厭わないすそこ様へおくることは本当に恐ろしい。

それに、どんなことであっても、未知の世界へ一歩踏み出す時は本当にこわい。
だけど、こっちは譲歩もしているし、GWをそもそも奪われていることには本当に納得がいってなかったので、その自分の信念を貫くのみ!

宣戦布告:「だったら帰らなくていい」

数分後、返ってきた言葉は、私の想像を遥かに超えるもので、一言

姑すそこ
姑すそこ

「わかった。だったら帰らなくていい」

……え? 逆ギレ……?

後味は最悪でしたが、まあ帰らなくて済むならラッキーか、と思った矢先。

夫のスマホが鳴りました。相手は義兄です。

「帰らんってどういうことやーーーーーーーーー!!!」

まさに典型的な怒鳴り型クレーマー。怒鳴れば相手がひるむと思ってるやつ。
こっちは「泊まらない」としか言ってないし、「帰らなくていい」と言ったの、あなたの母上ですよ? いま、すぐ隣にいらっしゃるよね?

後日、姑が言っていました。

「あの子(義兄)はゴルフをすごく楽しみにしてたから、それであれだけ怒ったんやとお母さんは思うんよ」

50過ぎの独身男性が、弟夫婦とのゴルフがなくなったくらいでブチギレる。
そんなにゴルフしたかったんなら、一人で回れば?
今、ネットで同伴者をマッチングして見つけることができる一人予約あるじゃん。
まぁ 一緒に回る人には同情しますけど。

罪悪感の集中砲火、そして理不尽の極みへ

話は戻って
電話口の向こうからは、姑と義兄がタッグを組んで、夫を執拗に追い詰める声が聞こえてくる。

すそこ様はお得意の罪悪感植え付けパッケージで応戦。

「後悔してもしらないからね。私らが何歳だと思ってんの」
「いつまでも親が元気だと思ったら大間違いよ」
「これが最後のゴルフになるかもしれんのに」

「連休に帰ってきて、ゴルフをするんは、うちのルールなのに!!!」

……って言われても、私にとってはこれが“最初で最後のNO”かもしれんのよ。引き下がれません。

これでもかと罪悪感を塗り込めて浴びせる負の言葉のシャワー。
それでも私たちはその言葉の圧に屈することなく、頑なに「泊まりでの帰省はしない」という意思を貫きました。

初めて義実家の意に逆らった日。
夫も内心気にしているかと思いきや、

だんなちゃん
だんなちゃん

「じゃあ、東京にでも行くか! 本場のもんじゃが食べたいな~!」

と少し嬉しそうだったのが、唯一の救いでした。


しかし、この話には後日談があります。

GWが終わって10日ほど経ったある日。
すそこ様から仕事中の旦那ちゃんへ電話が。

なんとーーーーーーーーーー、夫は仕事を休んで、急遽一人で実家に帰ることになったのです。

なんでや? 仕事が休めなくて忙しいって話をしてたはずが、なんで仕事を休ませてよびつけるん???

姑すそこ
姑すそこ

「家族だけで話さないといけないことがある。悪いようにとらんでほしい」

「みーぬちゃんのことはほんまに娘と思ってるんよ。
だけど、こればっかりはどうしても家族だけで話すことなんよ。」

姑は私に泣きながらそう訴えました。

……“悪いようにとらんでほしい”
でた、でた。お得意のやつ。悪いようにとったらわたしが悪いという方程式の枕詞。

しかし、それは真っ赤な嘘でした。(このことはまた後日記事にします。おたのしみにー)
“泣いてる=真実を語ってる”みたいな思い込み、ほんとそろそろアップデートしてほしい。

夫は帰省するなり、GWに帰らなかったことを家族一同から責めに責められ、延々と吊し上げられたのです。

大事な息子が仕事を休んでまで駆けつけたのに、その目的が「自分たちの意に沿わなかったことへの制裁」だった。

この事実を知った時、私の中で今度こそ本当に何かがプツリと切れました。

怒りを通り越して、呆れと、そして失望。

この人たちは、息子がかわいいと言いながら、本当の意味で心配もしていなければ、大事にすら思っていない。
すべては、自分たちの為であり、自分たちの思い通りにコントロールするために言ってるだけ。

そう確信した瞬間、私はようやく洗脳から解き放たれ、覚醒したのです。

エピローグ:初めての反逆、そして見えた景色

理不尽な結末ではあったものの、この一件は私に大きな収穫をもたらしてくれました。

今まで恐れていた義実家(鎌村家)の面々が、ただ感情だけでゴリ押ししているに過ぎない、という正体に気づけちゃったからね。

私は、もう媚びへつらう必要はない。
どう思われても構わない。

ちなみに姑としての評価を私がつけるとするならば、星ひとつもないよ。
能力がいくら高くても、あなたを人として認めることはできません。
あなたに権力のある立場を与えたら、目先の自分の利益を優先して執着し、そのためなら平気で他人を蹴落とすことは厭わないだろうから。

そう開き直れた時、初めて私は自分の足で立ち、この理不尽な「既成事実」と戦う覚悟を決めたのです。

🔜次回予告

なぜ、私はこんな状況になるまで気づけなかったのか?
そこには、私自身の心の中にあった「隙」が関係していました。

次回は、私が「言いなりになる嫁」になってしまった原因を深く掘り下げ、
そこから自分を取り戻すまでの道のりをお話しします。

次の記事はこちら
言語化のススメ。モラハラ義母の既成事実支配から抜け出すためのマインド整理術(既成事実からの脱却シリーズ③)
言語化のススメ。モラハラ義母の既成事実支配から抜け出すためのマインド整理術(既成事実からの脱却シリーズ③)
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既成事実って絶対正義なの?義実家の「不文律」をルールにさせない4つの心得(既成事実からの脱却シリーズ①)
既成事実って絶対正義なの?義実家の「不文律」をルールにさせない4つの心得(既成事実からの脱却シリーズ①)

※既成事実は絶対正義なの?という三部作でお送りしています。よければ前後の記事をご覧いただくと、よりお楽しみ頂けると思います。

ABOUT ME
みーぬ
みーぬ
観察系記録ライター
義母との複雑な関係をきっかけに、 “家庭”という名の舞台に仕込まれた違和感を見逃さず、 観察・分析・記録を始めました。 このブログでは、 心を守るための言葉を綴っています。 最初は、誰にも言えない気持ちの吐き出し。 でも、記録しながら自分の感覚を取り戻し、 今は“自分で自分を守れる言葉”を紡いでいます。 私にとって「書くこと」は、 日々のズレや不安から自分を切り離す、小さなサバイバル術です
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