結局、マウントをとりたいだけ。〜老いを受け入れられない姑と、私の達観未遂〜

マウントとりたがる姑は最大のネタ提供者
私が疲れる理由。
それは、結局のところ——マウントをとりたいだけの人と関わってしまうから。
しかも、それが思い込みベースで繰り広げられるとなると、もう、勝手に始まって勝手に巻き込まれてるわけで。
あの人、ほんと“巻き込み型マウント”のプロだわ。
私は私で、心までは持っていかれないように、バリアは貼ってる。
だけど…
自我ちゃんが、ちょいちょい顔を出してきちゃうんだよね。「むむ?」って。
でも最近はちょっと違うんだな、なんか。
すそこ様が仕掛けてくるたびに、こう思えるようになってきた。

あ、またネタを投下してくれた
いやほんと、ありがた山〜
だってなかなか誰にでも経験できることじゃないし
こういう絶妙なすれ違いと違和感、私の文才が花開くってもんでしょ? 笑
「こんなことされたー!ひどーい!」
…って言うだけの悲劇のヒロイン話なんて、面白くも何ともないじゃん。
聞く側も返事に困るし、言う側も思うほどにスッキリしないし。
だから私はちょっと小馬鹿にするくらいがちょうどいいのかも。
すそこ様に対しても俯瞰して見てると不思議と滑稽で、哀れで、そしてちょっと愛おしくもなってきてる…かもしれない(いや、マジで)
老いを受け入れられない現役マインド
すそこ様って、老いをまっったく受け入れられてないんだよね。
齢80にして「私はまだまだ現役ですから!」感満載。
私に向かっても、「みーぬちゃんはまだ若いからわからんだろうけど」と、年齢マウント。
そのくせ、「あの頃に戻りたい」なんて、そんなことばかり言う。
…戻れませんから。
脊柱管狭窄症も「私は長年働きすぎたせいでこんなことになってしもうて」って言ってくるけど、
いやいや、それ、主な原因は加齢ですから。歩きすぎたら痛みや痺れが出てくんのよ。ちょっと休んだらまた歩けるからって無理したら酷くなる一方なのに。
ゴルフも、後半は足を引きずってるのに「私は何でもない!」って演出してるし。
もう見てて痛々しいんだってば…。
でも…現役にしがみつく姿って、逆に“老い”を際立たせるんだよなぁ。
たぶん、息子たちから「おかん、もうゴルフやめときな」って言われるのが怖いんだよね。
そして、こういうセリフもよく言う:

私たちは老い先短いんじゃから…
——あなた、そんなこと微塵も本気で思ってないでしょ
これはもう、完全にコントロールワード。
このセリフを言えば、周囲の心を揺さぶれるって、わかってて使ってるだけなんだもん。
“こんなはずじゃなかった”と嘆き、“かわいそうなお母さん”モードを発動しながら、
同時にマウントと主導権もセットで握ろうとする。
…いや〜、手練れですわ。ある意味、ね。
そして、ここが一番モヤるところなんだけど——
見た目も言動も「若作り」してるのに、
ことあるごとに「年齢マウント」はとってくるのよ。

若いからわからんでしょ〜?
おかあさんの歳になったらわかるわよ〜
みたいなやつ。
いやいや、矛盾してますから、それ。
若く見せたいなら、マウントとらないでくださいって思うし、
マウントとりたいなら、もう堂々と年相応でいてください。
若作りって、ある程度は大切かもしれない。
でも、若く見せる必要まではないと思うのよね。なんか変に見栄えだけ取り繕っても、ね。
年相応の姿かたち、年齢に見合った言動って、私はすごく大事だと思ってて。
むしろそのほうが自然体でかっこいい。
必要なのは、“若さ”じゃなくて清潔感と品。
それが常識的な範囲で保たれていれば、それで十分だと思うんだよね。
私は老いを受け入れられる女(たぶん)
私自身も、もちろんショックは受けるよ。
通院してる耳鼻科で、”最近、耳が詰まった感じや耳鳴りがするんですよね〜”と相談して検査をしたら、「いや、問題はないよ。ただ加齢性難聴だね。これはしょうがないよ」って言われたときは、

えええええーーーーーーーー
って思わず声が漏れたし(笑)
なんかの病気かと思いきや、老化だったんかーい! まさかの治療法がないやつ。
でも落ち込んだのも一瞬。
「ま、しょうがないよね」って開き直ったら、案外そこから気にならなくなった。
否定しても現実は変えられないし。
時は流れてるんだから、そりゃ老いるわよ。
引き際の美学って、あると思う
引退って、別に「終わり」じゃない。
むしろ、尊厳を保つための儀式なんじゃないかと思う。
執着って、ほんとしんどい。
手放せばラクになることって、きっと多いんだよね。
若いときは煩悩だらけでいい。
でも歳を重ねたら、煩悩をそぎ落として、軽くなっていきたい。
…とまぁ、こんなふうに思えるようになってきた今日この頃です。
すそこ様のおかげで、私、またひとつ悟りました。
(そしてネタがまた一つ増えました)
