【第一章・前編】それ、愛情じゃなくて“所有”だった件。

みーぬ

〜サバサバを装った支配の匂いに、ツッコませていただきます〜

うちの義実家、ちょっと距離感が・・・ 
なんか価値観が独特だな・・・
なんかやたら押しが強いな 
やたらといい家・いい母親アピールしてくるな・・・

確証はないながらも、モヤモヤというよりは軽い違和感。
最初は私も「まぁ 違う家庭のことだし。そんなもんかな?」
――って
軽い違和感を飲み込もうとして、気にしないようにしてたんだよね。
今でも息子の世話をし続けて、
干渉しまくる子離れしない母親の異様さに対することについて。

でも今ならハッキリ言える。

それ、息子を“かわいがってる”じゃなくて、“飼ってる”だけだから!!


すそこ神話、はじまりの章

うちの夫・まことくんと、その兄カツオ、そして義父。
彼らは口を揃えてこう言う。

  • 「おかんは、すごい!!」
  • 「うちはすそこでもってるからなぁ~」
  • 「おかんに任せときゃ安心!!!」
  • 「家族だけじゃなくて、地域の人もみんなすそこを頼りにしてるから!!」

… お、おー。大絶賛だね。
まるで女神。
ほぼ“神格化”しちゃってるね。
すそこにえらく心酔しちゃってる鎌村家の皆様方。


家族から周囲から一目置かれたい義母

そうなのよね。
自分からは「私すごいのよ!」と積極的な自己アピールを直接しないのがすそこ流。
でも、「そんなことないんよ」と決して否定はしない。
謙遜もしなければ、むしろ横で「うんうん」と頷いてるし。
まわりが言ってくれる設計、完璧にできあがってる。

確かに働き者で有能だし、リーダーシップもあるし、
その上努力は惜しまないから嘘ではない。
そこがまた、なんか、ねぇ… 私はなんだかひっかかる。
自分のことをチヤホヤ褒め称えられると居心地悪かったりしない? 照れくさいし。
でも、すそこはものすごーく気持ちよさそう。


反抗期? なにそれ食べたことない

うちの旦那ちゃんは
どうやら反抗期というイベントをスルーしてきた模様
うーん・・・ 反抗期って、人格形成上必要なんだけどな。
自我の芽生えをつんでどういうつもりなんだろうね。
幼児期のイヤイヤ期をどう過ごしたのかはわからないけど、
思春期に関しては、感情的に悲観する母親によって抑えられてしまったようだ・・・

によって

  • 「おかんの言うことに間違いはない」
  • 「自分の意見なんて考えなくても、おかんに聞けばいい」
  • 「どうせおかんに文句言われるし、面倒くさいからそれでいいよ」

あ、これはもう思考停止システム、完成してますやん


すそこの“かわいがり”、解剖してみた

すそこの「かわいい」を連発する愛情の押しつけは
その“かわいさ”がちょっとズレてるんだよね…。


ペット的かわいがりの三大要素:

  1. 主語が常に「私」
     →「私が育てた」「私の宝物」「あんたはお母さんの子どもなんじゃから」
      「私がなんでもしてあげる」「私の息子」「うちの嫁」
     → 息子は“私のもの”&嫁は息子の妻ではなく鎌村家の嫁としてだけ存在しなさい。
  2. 過干渉すら“かわいい”で免罪
     →「心配なのは親だから当然でしょ?」という決まり文句。
     → 息子の意志? 関係ない。だって、私の子どもなんじゃから。
  3. 逆らったら裏切り者
     → 「こんなにしてあげたのに!」で罪悪感パワープレイ
     → 誰も逆らえない家、完成。

「おかあさんの呪い」という名の首輪

「あんたはおかあさんの宝物なんよ」「大事な大事なかわいい息子」と、いまだに言い続ける。
↑↑
これ、優しさの仮面をかぶってるけど、かなりの飼い慣らし高等テクニック
こんなこと言われたら、なんも言い返せないし、罪悪感もつし、プレッシャー半端ない。

=連絡してくるのは当然でしょ? 家族なんじゃから。
=家族なんじゃから、帰ってきて会いに来るのは当たり前。
=もっと私に構って!! 電話もして!! もっと会いに来て!!
=息子はいつまでも“おかあさんの子” 嫁のもんじゃないのよ。

っていう、見えない首輪がついてるもん。
飼い主はすそこ。所有者もすそこ。
戸籍も抜けて、あらたに家族を築いているのに、すそこにしてみたら、家族の定義は変わっていないご様子。

ねぇねぇ 結婚したら別家族じゃないの?
独立して別世帯になってること知らないのかしら・・・ 遠く離れて暮らしているし。
それをすそこは「家族じゃから 家族だからええじゃろ」で縛る・侵略・介入してくるんだからこちらはたまったもんじゃない。
申し訳ないけど、もうひとつの家族じゃないのよ。
法律的には親戚で、親族・血縁者に立場が変わってるんです。


私は、“人間”として扱われたかっただけなのに

私、みーぬに関して言えば
「嫁」としては“かわいがられ”たかもしれない。
でも、「ひとりの人」として尊重して大切にされていた訳じゃない。

  • 意見?言わせないわよ。ていうか姑の意に逆らうなんて以ての外。
  • 余計な事はしないでくれる? あなたは控えて”嫁”の役割だけしていればいいの。
  • 息子を成長させないでよ! やめてーー 嫁のいいなりで息子は変わってしまった。
  • まことやわたしたちの為だけに尽くしなさい。嫁なんだから。
  • 私は嫁を大切にするできた姑なの。嫁に意地悪するそこらへんの姑と私は違うのよ!!
  • 私は姑根性を出して嫁いびりは絶対にしない!!! 嫁を娘じゃと思ってるから。

「よくしてもらってるのに、なぜこんなに息苦しいのか」
「かわいがってもらってるはずなのに、なぜ私は縮こまってるのか」


そして気づいた。

あれ、これって“愛情”のフリして“囲い込み”してない?
従うことで愛されてた?それ、私までペットにされてる?!


みーぬの冷静ツッコミは、まだまだ続く。
後編では「自分で考えない息子、完成のお知らせ」と
「“よう働いた”が免罪符化してる謎文化」に切り込んじゃいます。

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みーぬ
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観察系記録ライター
義母との複雑な関係をきっかけに、 “家庭”という名の舞台に仕込まれた違和感を見逃さず、 観察・分析・記録を始めました。 このブログでは、 心を守るための言葉を綴っています。 最初は、誰にも言えない気持ちの吐き出し。 でも、記録しながら自分の感覚を取り戻し、 今は“自分で自分を守れる言葉”を紡いでいます。 私にとって「書くこと」は、 日々のズレや不安から自分を切り離す、小さなサバイバル術です
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