【第4章】“自然な長所”を殺す支配力

みーぬ

プロローグ

私がすそこ様に対して思うのは、「惜しい人だなぁ…」「もったいないな〜」ってこと。
いいものを持ってるのに、素のままで十分魅力的なのに、なんでわざわざ虚勢を張るんだろう?
なんで、そんな余計なことをしちゃうかな〜って。

息子家族、つまり私との関係だってそう。
ちゃんと距離感を大事にしてくれていれば、ここまで嫌うこともなかったと思う。
…私がこうしてブログにネタ投下することも、悪く言うことも、なかったかも?(笑)

仮定の話ではあるけど、
きっと、いい関係を築けていたんじゃないかなって、どこかで思ってしまう。


罪悪感から言うわけじゃないけど…

すそこ様って、私が言っても説得力なさげかもだけど──
めちゃめちゃな悪人でもなければ、誰かを陥れようとするような、明確な悪意があるわけでもない。

…だからこそ、モヤるんだよね。
マニピュレーターだからそう感じさせる部分もあるんだけど、
性格もいい部分はあるし、有能なのもたしかで。
裏工作なんてしなくても、自然と人は集まってくるような人だと思う。

なのに、なぜか“コントロール”しようとする。
「自分で回そう」としすぎて、周りの信頼を削ってしまってる。
──人を信じきれないから、つい、手を出しすぎちゃうのかな。

魅力をまんま生かせばいいのに

すそこ様には、たしかに“人を動かす力”がある。
カリスマ性もあるし、リーダーシップもある。
パッと声をかけて場をまとめたり、人に気を配ったり──
誰よりも動いて、率先して面倒を見て、誰にでも世話を焼ける人。

気づけば集まりの中心にいて、自然と周りには人が集まってくる。
そんな“場を動かす空気”をつくれる人って、実はなかなかいない。


長所は自分で気づけない。

すそこ様が持っていた“本来の魅力”や“自然な長所”を考えていたとき、
ふと、昔ある職場の上司に言われたことを思い出した。

「長所って、自分では“え?そんなこと?”って思うようなことだったりするんだよ」

そう言って、その上司は私の長所を教えてくれた。

「えっ? それが私の長所なんですか?
それより、私がめちゃくちゃ努力してやってきたこの部分のほうが“売り”だと思うんですけど?」

「それは“頑張り”でしょ。
長所って、“努力しなくてもできてしまってること”なんだよ。
本人にとっては当たり前すぎて、気づきにくいの。
でも、それこそが他の人には真似できない、貴重なことだったりするんだよ。」

みーぬ
みーぬ

“自然にできてること”って、ほんと、自分では気づかない。
だって、できるのが当たり前だと思ってるから。
みんなも同じくらいできてるもんだと思ってたし。

…ていうか、長所ってそういうことだったのか!!


自分の良さに気づけば、自信につながる!

“気づき”って、たいていは他人を通じてやってくるんだな〜と思う。
人との出会いや経験って、ほんとに宝物。

すそこ様の場合、その“自然な長所”は──
リーダーシップとか、カリスマ性とか、世話好きとか、場を動かす力だったのかもしれない。(…違うかもしれないけど)

でも、それを「うまく使えたか?」といえば、ちょっと違ったように見える。

「使いこなす」というより、「下手に利用してしまった」ような感じ。
いつの間にか、それを“自分の権力”だと勘違いしてしまったのかもしれないな。

支配のかたちで、力を使うと・・・

たとえば──
「世話好き」は「過干渉」に、
「存在感」は「自分中心じゃないと不安」に。
そんなふうに、悪気なく、
“自分のやり方=絶対的な正解”と勘違いしてしまった。

子どもを「個」として尊重せず、あたかも“自分の所有物”のように扱う。
親として面倒を見ることは本来、義務や責任のはずなのに──
「こんなにやってあげてるのに!」と恩を着せ、見返りを求めてしまう。

「良かれと思って」なんでも先回りしてやってしまうから、
人が“自分で選ぶ機会”をことごとく奪ってしまう。
選択の自由も、自主性も、積極性も、知らぬうちに。

でも──
それって、実は誰のためにもなってなかった。
感謝されるどころか、周囲は気を遣い、しんどくなっていく。

なのに、そこに気づけないから、どんどんズレが広がっていく。
そして、怒る。すーぐ怒る。
さらに執着する。
「手放せない」「思い通りにならない」──
そんな苦しみのループに、自らハマり込んでしまっているように見える。

本来の「自然な長所」は、
“支配”というかたちでねじれてしまい、
いつしか本人も、周りも、誰も得しないものになってしまったのかもしれない。

頼もしかったリーダーは、
人に寄り添うことや、個人の思いに想像を馳せることが、
実はとても苦手だったのかもしれない。

みーぬ
みーぬ

想像ができなくて、妄想で怒るのが、すそこクオリティ


エピローグ:「惜しい人」で終わらせないために

すそこ様の姿を見ていると、反面教師として学ばされることが多い。
だからこそ、私は思う。

“得意”を、おごらないようにしよう。
“できること”を、誰かを囲い込むためには使わないようにしよう。
自分が得するために使ったら、それはもう長所じゃない。

自然にできてしまうことの中にこそ、
本当の人のあたたかさや信頼って宿るのかもしれない。
意図や打算がにじんだ時点で、それは“長所”ではなくなる。



今回は、なんだか本気モードでお送りしました。(ぺこり)

あわせて読みたい
【第5章】嫁姑問題=家の文化と育ちの衝突
【第5章】嫁姑問題=家の文化と育ちの衝突
ABOUT ME
みーぬ
みーぬ
観察系記録ライター
義母との複雑な関係をきっかけに、 “家庭”という名の舞台に仕込まれた違和感を見逃さず、 観察・分析・記録を始めました。 このブログでは、 心を守るための言葉を綴っています。 最初は、誰にも言えない気持ちの吐き出し。 でも、記録しながら自分の感覚を取り戻し、 今は“自分で自分を守れる言葉”を紡いでいます。 私にとって「書くこと」は、 日々のズレや不安から自分を切り離す、小さなサバイバル術です
記事URLをコピーしました