「家族だからええじゃろ経」を信仰する人たち

みーぬ

”家族なんだから”で膝にくる瞬間

「家族なんだから」

「家族なのに」

「家族なんだから、ええじゃろ」

鎌村家の方々、特にすそこ様とカツオ氏がやたらと使いたがるこのパワーワード。

この言葉を聞くたび、わたしはうなだれるように膝にくる。
_| ̄|○ ガックシ…

この魔法のフレーズたちは鎌村家では最強クラスの呪文でして・・・
すそこ様が作り出した、鎌村家の家訓のようなもの。
それを唱えられた瞬間に拒否する権利は自動消滅させられてるから、イコール同意する構造なのよね〜…

それはまるで家族を縛る“言霊の縄”みたいな効力で、私は、何度その投げ縄に足元をひっかけられて捕まったかことか・・・

でも、今 思い返してみると、マニピュレーターの手口だと気づくまでのモヤっていた時が地味~に一番しんどかった(/_<。)

というのも、口ではうまいこというけど、それが信じられないような言動があるからこっちは混乱するんだよね。

それに悪いようにとったらいけないよね・・・と自分を戒めて責めての罪悪感も同時にあるし、

旦那ちゃんにも彼の家族の悪口みたいな愚痴は言えないって気持ちを押し殺してたから何も言えなくて。

そんな二重三重の苦しみが隠されてる訳だから。

鎌村家の面々に至っては、嫁は本心では家族と思ってない割に、いいように使いたい時だったり、世間体だったり、嫁を都合よくコントロールしたい場面で言ったりするから、私は余計にモヤるんだよね。

とはいえ、本気で家族と思ってくれていても・・・ 
現実的にはありえないとはいえ、それもそれでしんどいか(;’∀’)

それにしても、この呪文は絶妙なタイミングで発動される。
こちらが遠慮しようとしたときとか、断りかけた瞬間に、このカードを切られちゃうんで。

姑すそこ
姑すそこ

「家族なんじゃから一緒でええじゃろ」

「家族なのになんでそんなこと言うん? みずくさい」

令和7年みーぬ
令和7年みーぬ

──はい、出た。鎌村家の切り札。

鎌村家=おかん絶対教

すそこ様の影響力は、まさに神がかり。
おかん絶対教を家族全員が信仰してるから、彼女が言えば、それが真実。それが正義。

すそこ様に思い通りにするだけの行動力もあるので、男性陣は疑うこともなく、それが普通だと思い、すそこ様の言う通りにしていれば間違いなし・しかも楽だしってことで、完全にすそこ色に染まっちゃった。

ウニ男さんが自分の嫁をたしなめることをせずに好きにさせちゃったのも大きかったかな。

すそこ様は頭もきれるし、なんでもできちゃう。
そこに“自慢癖”と“見栄っ張り気質”が合わさることで、家族の中での絶対王政が見事完成。

家族みんなが「おかんスゴイ!」と持ち上げるから、さらに本人は調子にのる。
何もかもが今までは自分の思い通り・思うがままなので、“謙虚さ”より“支配力”が増していくことに──。

おかん絶対教の経典、第一条。
「おかんの言うことは間違いない」

カツオ他・・
カツオ他・・

止まったままの家族の時間

ところで、鎌村家を見ていると、時間が昭和の小学生あたりで止まってる感じがするんだよね〜…

お父さん、お母さん、お兄ちゃん、弟──。家族の関係性が、あの頃のまんま。
役割も、立ち位置も、ぜんぶ固定されたまま。

大人になっても、結婚しても、家を出ても、**「子どもは子ども」**のまま。

特にすそこ様はそうだけど、カツオ氏までもがそう。
いつまでもそのまんまの家族のカタチで役割がまんまで思考回路ストップ。

“家族”が“親族”にアップデートされてなくて、家族=親の所有物、という旧式OSのまんまって感じというか。

当然、親子関係は変わらないよ?
だけど、それは概念だけで、実際には子供は大人になってるのに・・
しかももう違う家族を作ってるのに。

だけど、すそこ様にとったら、子どもが何歳になろうと、ずっと面倒をみなくちゃいけない子どもだって本気で思ってる。

兄貴もそう。
本気で、あの時の小学校3,4年生の頃の家族のカタチを今も引きずってる。
彼らにしてみれば、弟がいて、はじめて家族が完全体になる、みたいな。

義兄カツオ
義兄カツオ

「お前の家はここじゃろうが!」

「お前はここの子どもじゃろうが!」

「いいからオカンの言うこと聞け!!!」

「お前だけでも帰ってこい!」

みーぬ
みーぬ

…え、え、独立した50歳近い成人男性ですけど??

ホラーです。心霊より怖い、現実ホラー。

“おかんが”が主語の男

カツオ氏にいたっては完全に生粋の「おかん信者」。

義兄カツオ
義兄カツオ

「おかんが寂しがっとる」

「おかんが言ってんだから、おかんの言う通りにしろ」

「おかんの手料理が一番」

「嫁の言いなりになりやがって」

「嫁が嫌がるんなら、ひとりで帰ってくればいいじゃろ」

──とにかく“おかんが”が主語な彼。

彼の思考はおかんが、おかんが、なのよね。

カツオ氏からすれば、最近、弟の嫁が言いなりじゃなくなってきて、弟を変えてしまっているから「おまえ、あんなのと別れて家に戻ってこい」とか平気で言い出しかねないようなそんな感覚。

独身男で、実家暮らしで50歳を余裕で過ぎてるのに、あなたは何を言うてるんですか?って話で。
あなたの家はここかもしれんけど、とっくの昔に弟は自分の家じゃないんですけど・・・

だけど、そんなカツオ氏は、自己中かつ見栄っ張りな男。

「俺が言ったからあいつら帰ってきたんだ」と自分の手柄にしてすそこ様に対してのアピールと、自己満足の為にしてるだけ。

本音は、自分が気まぐれでゴルフに夢中になっている時に一緒にゴルフがしたいというだけだったりするのに。

義兄カツオ
義兄カツオ

「おかんがこうしたいって言ってるから、お前ら やってやれ」

「おかんが寂しがってるからお前ら 会いに来い!」

「おかんシンドローム」かと思いきや、そうでもなかったりする偏屈男。

あまり言葉にしないけど、まことくんは本当にカツオ氏のことを信用してないし、頼りにしてない。
(ウニ男さんもカツオ氏に対して同じ反応)

私は、あれだけおかんが大好きで、おかんにいまだに何でもかんでも頼りっきりで、なんでもやってもらってる割に、俺はなんでもできる!といきがってるカツオ氏をみると、さすがにおかんの面倒だけはみるんじゃないか?と思ったりしたんだけど

どうやら、違うっぽい。
多分、兄貴は本当にクソだと思う。

というのも おかん大好き おかん おかんな割に、俺ばっかりに押し付けてくんな!っていうのもカツオ氏は丸わかりなわけ。

おかんのことは大好きだけど、彼は単におかんに自分の面倒をみてほしいだけ。
おかんのことは大事なんだけど、面倒を見る気はさらさらないという冷酷さを持ち合わせてるから。

多分、まことくんはそういうことも薄々わかっていたから、多分昔から、親のことは自分が面倒をみることになるって覚悟してたんだろうなぁ。
おにいは、多分とっとと「おれは知らん」といって逃げるって。

そういうところもあってか、すそこ様は、いつも「お兄ちゃんはああ見えて本当は優しい子じゃから」と庇いつつ、「お兄ちゃんはああいうところがあるけど、まことは本当に優しい子じゃから。おかあさんたちのことをちゃんと考えてくれる」と言ったりするんだよね。

そういう保険のかけ方が、本当にずる賢いというか、怖い😱😱😱

お兄ちゃんはいざとなったら私らの面倒をみてくれるはずだ、と信じてるかのようなその口ぶりをしつつも、

きっちりと、まことくんを頼りにしてるからね感を植え付けてるようにみえるから。

そうやって、何気にまことくんが追いつめられてたんだろうなぁ・・

だけど、私と結婚してからは「みーぬに任せる」モードで、わたしがなんやかんやいってやってくれるだろうって思ってそうで怖い・・・

愛という名の支配と依存

すそこ様の根本思想はこれ。

姑すそこ
姑すそこ

わたしがいないと、この家はやっていけないんよ

面倒をみる=愛。
何でもしてあげる=優しさ。

息子のことを世界で一番大事に思ってるのは私で、私にとっても一番大事な存在なのがあなたたち。だから何でも私がしてあげるのは愛がある証拠なのよ〜!
──この思考が、ダメ人間にしてる自覚がまるでなし。

子どもをかわいがるようで、実際は心を支配しちゃってるようなもん。

自分を見捨てるなんて事も絶対に許さないけど、何より相手の自立を奪ってでも、“必要とされる自分”を保ちたい。

それが最優先ってところかな。

自分の役目がなくなる=自分の価値がなくなる、と本気で思ってる節があるからね。

だから、離れる勇気が持てないんだと思う。
そんなことをしなくたって、子どもは親を大事にするし、見捨てることなんてないのに。

本当に愛してるなら、手を離すべきなのに、って私はマジで思います。

そうはいっても、今更すそこ様には到底無理な要求ということは重々私も承知しているので、 『見捨てることは絶対にない』という安心感を別ルートで与えつつ、過剰な要求は淡々と断るってスタンスでやるしかないのかな、、、

かわいそう教への転身

最近のすそこ様は、ちょっと路線変更。
鎌村家は、第二のフェーズに入ってきてます。
支配のスタイルが、「かわいそうな私」路線に進化してきてるんです。

というのも
今までは、自分がこうしたいああしたいってことを常に押し通せてきて、それを家族は頼もしく何もかもすそこ様に任せっきりにしてきたわけだけど

それが最近では今までとは同じようにすそこ様もできなくなってきた。

ま、つまりは老化ですよ。

単なる老化なのに、彼女は今まで通りに動けなくなってしまった自分がなんてかわいそうなんだ、なんで私だけこんな目に遭うんだ、子どもは休みでも帰ってこないし、連絡もしてこないし、なんて私は不幸なんだっていう思考になっちゃった訳です。

現実は不幸でも大変でもなんでもないのに、ただ老化として、物覚えが悪くなったり、味付けがわからなくなったり、若い時と違うっていうだけなんだけど、年相応のね。

だけど、彼女は当たり前の自然の摂理に対して不幸のスポットライトを当ててしまう。

そこで、彼女が編み出したのが、かわいそうな私っていう同情をひくっていう技。

私は、こんなに不幸なのー。だから優しくしてくださいっていうやり方にシフトチェンジ。

それに、ぷらすで・・・

最強の切り札「老い先短い年寄りの最後の頼みじゃから」

姑すそこ
姑すそこ

「私らは老い先短いんじゃから、あと何回も会えんのよ? あとで後悔してもしらんからね」

「あんたらはおかあさんがいつまでも元気でおるもんやと思うてるけど、私はいつまでも若くはないんよ。いつまでも元気でいると思ったら大間違いじゃからね」

「老い先短い、年寄りの最後の頼みじゃから・・・」

──はい、来た。「老い先短い作戦」。

わかりやすーく脅してくる。お願いの皮を被った脅迫。
相手の良心を人質にとって罪悪感を駆り立ててくるやつ。
ちなみに、最後と言いながらも何回も使ってくるやつ。

私が、これを言われると、すごく嫌な気持ちになるのは、表向きには単なる弱者からのお願いのようにみえるけれど、実際は相手が年寄りの最後の願いを踏みにじる冷たい人間になる構造になっているところなんだよね。

無自覚なマニピュレーターだから、意図的にやってるのか、無意識なのかは分からないんだけど・・。
長年こうやって“感情で他人を動かしてきた経験”が身体に染みついてる成功体験がそうさせちゃったのかなぁ~…。

本人はまるで無自覚で、善人ポジションは揺るがないから。

「お願いしてるだけなのに、なんで断るの? なんて冷たい薄情な子だ」

「年寄りの頼みをきくのは当たり前じゃろ」

「私が悪いこと言ってるわけじゃない」

大抵の人は、子どもへ負担や迷惑になるからと思って、自制してブレーキがかかるんだと思うけど、残念ながらすそこ様はブレーキどころかアクセルを踏みこんで加速しちゃってます。

本心では、私はまだまだ死なないけどねって思いながらも、効果的だからあえてしめしめと言わんばかりに使ってくるわけですよ。

みんなが優しくしてくれるからね。

「心配してくれるのは嬉しいけど」スイッチ

これ、すそこ様あるある。

わたしが「ちゃんと現状を把握したいんで、主治医の先生に一度お目にかかりたいんですけど、今度の診察にご一緒していいですか?」

「おかあさんが言うようにお父さんのケアマネさんは何もしてくれない・頼りにならない人かどうかをみたいんで私、一度お会いしたいんですけど。今度来られるときに私も参加していいですか?」

と、実務的サポートを具体的に提案すると──

姑すそこ
姑すそこ

「いやいやいや、それは申し訳ないからええわ。そんなんせんでええのよ。

おかあさんはまだまだ大丈夫じゃから。

遠いんじゃし、あんたらにはあんたらの生活があるんだからこっちは気にしなくていいんよ。

本当に困ったときや助けてほしい時にはそうちゃんと言うから。

だから、おかあさんが言うまでは、こっちのことは気にかけんでええんよ。

ほんまに、わざわざこんな遠いところまで来なくていいからね。

急に物分かりのいい“遠慮ぶった人格”に変身して、全力で私が来ることを阻止してくるのは一体なんでしょうね ┐(´д`)┌

ついさっきまで「もっと会いに来て」だったのに。手のひら返しの早さは、世界記録。

つまり、彼女が欲しいのは「心配してくれる気持ち」だけで、実際に助けられるのは嫌ってこと。

全力で阻止してくるのは“嫁に主導権を渡したくない”から&嫁のいいようにされてしまう恐怖なのかな。
私も本気で心配して、私で力になれれば・・・という純粋な気持ちを踏みにじられ続けているんで、もう呆れる感情しかない。

それでも、私がしつこく言い続けたので、診察に付き合う事については未だに了解は得られないけど、ケアマネさんに会う事についてはすそこ様もさすがに断りきれず、無事に私は会えて、連絡先もゲット!

当然、まともな人で頼もしいちゃんとした人でした( ´ ▽ ` )ノ
ケアマネさんは、その時のすそこ様の様子をみて、「あれ? 奥様どうされました? いつもはもっとお元気でパワフルでいらっしゃるのに今日はなんかいつもと違いますね」ってツッコんでたし。
さすがです。

嫁が来て、主導権が嫁にうつるのも耐えられないだろうし、下手にこれからはケアマネさんのことを愚痴ることもできないし、不幸をアピールしずらい。
ケアマネさんたちが帰るときに私が追っかけて行って一人で話に行ったから、何を言われているかもきっと気が気でなかったんかな。

老いは不幸じゃない

すそこ様は「老いること&寿命で死ぬこと=不幸」と捉えてる節がある。
だもそれって人間なんだから不幸でもなんでもないんだけどね。

老いるのも、病気になるのも、死ぬのも別に不幸なことじゃないから。そこを不幸と考えてしまうことが不幸なのよ。困ったもんだ(-_-;)

老いも、病も、死も、自然なこと。生老病死を苦だと思って、そこに不幸のラベルを貼るから、人生が息苦しくなるんだから、仏教を知れば楽になれそうだけど。

すそこ様と会話していると、とかくこの方は気持ちがいつまでも若い。
それって別に悪いことでも勿論ないんだけど、ちょっと違和感は感じる。
わたし、何歳の人と話してるの?って錯覚を起こす感じ。
まさに乙女と感じる所以でもあるけど。
逆にその年齢で生きずらくないかな・・って思うくらいに自分の年齢とマッチしてない。

本人も頭では年をとるって分かってるし死ぬことも分かってはいるけど、まだまだそんなんは自分にはこないっていまだに思ってる感じなんだよねー…
私が、すそこ様に違和感を感じる理由が多分ここにあるんだと思う。

結び:家族だから、って何?

「家族なんだから」──

むしろ、そう言われたら逆に「家族だから、何?」と聞き返したくなる。

あの人たちにとって“家族だから”は、何かを強要したり、相手を黙らせるための免罪符なだけで便利グッズのひとつなんだもん。

私からすれば、もはや、家族だからハラスメントになっちゃってますから(-_-;)

その言葉を振りかざすことで、相手の自由も尊厳も、都合よく封じ込めてきたんだから。

ちなみに、すそこ様以上に厄介なのが、カツオ氏。
彼にとって“老い”も“終わり”も、現実味ゼロ。
両親がこの先いなくなったとしても弟夫婦は帰ってくると多分思ってるから、孤独に対する危機感もゼロ。

義兄カツオ
義兄カツオ

「俺には家もあるし、コンビニもあるし」

──そんなノリ。
自分はまだまだ若いと思ってるし、
老後? 知らん。考えたこともない。

そして、こう言う未来がみえる。

義兄カツオ
義兄カツオ

「家族なんだから、あいつら(弟夫婦)も帰ってくるじゃろ」

・・・言わせてください。

みーぬ
みーぬ

誰が帰るかっつーの。

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嫁が悩むのは介入してくる姑がいるから説
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みーぬ
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観察系記録ライター
義母との複雑な関係をきっかけに、 “家庭”という名の舞台に仕込まれた違和感を見逃さず、 観察・分析・記録を始めました。 このブログでは、 心を守るための言葉を綴っています。 最初は、誰にも言えない気持ちの吐き出し。 でも、記録しながら自分の感覚を取り戻し、 今は“自分で自分を守れる言葉”を紡いでいます。 私にとって「書くこと」は、 日々のズレや不安から自分を切り離す、小さなサバイバル術です

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