【第3章:前編】マニピュレーター義母の支配から脱する「静かな覚醒」。2020年GWに気づいた本当の健康。
〜ピザとレモンサワーが教えてくれた「本当の幸せ」〜
私の覚醒クロニクルとして、序章から第2章までは、出会いから半年までの出来事を姑すそこ様のマニピュレーターとしての神業が満載てんこ盛りだった訳だけど、第3章では、ここから私が覚醒にいたるきっかけとなった2020年の初夏の出来事をお送りします。
※この章は、軽い気持ちで読むと、ちょ〜…と重いかもしれません。
でも、ここを通らずにはマニピュレーターは見抜けなかった…というそういう話なんでご容赦ください(~_~;)
苦手な人はスルーもしくは流し見で通り過ぎちゃってくださいませ。
2020年5月。世界が止まっていたあの春に、私の10数年間に及ぶ「酸欠状態」は、突如予期せぬ形で終わりを告げようとしてました。(いい意味で)
10年以上の「酸欠状態」に終わりを告げたゴールデンウィーク
窓の外は、かつてないほど静まり返ったゴールデンウィーク。
本来なら、私たちは今ごろ心身ともに重~い体を引きずって高速に乗り、4時間以上かけて「あちら側」の世界へ向かい、自分が誰だか分からなくなるような、あの「搾取される時間」の中にいたはず。
でも、その年、私たちがいたのは、自宅のリビング。
目の前にあるのは
――テレビに映し出されている『鬼滅の刃』のアニメーション。
う。 炭治郎の純粋な眼差しが ま まぶしすぎるぜ。
しかも、今のアニメーションってこんなにきれいでクオリティも高いの? きれー・・・
ネトフリを見ながら、旦那ちゃんはゲーミングPCで何やら連打しまくって自分の世界に没頭し、私は私でSwitchの『あつ森』で、誰にも邪魔されない自分だけの島をせっせと作ってる。
同じ部屋にいて、それぞれが好きなこと&作業をしながら、リビングにどーんと鎮座している画面の炭治郎たちの戦いに目を奪われては、二人で視線を合わせながら「これ、やっぱり面白いね」と笑い合う。
・・なんてのんびりした自由な空間なんだ (感動・・・)
お昼ご飯は、貯めた楽天ポイントをはたいて注文したピザーラ。(楽天デリバリー カムバックプリーズ!)
普段なら「ちょっと高いかな」と躊躇する贅沢も、今日ばかりは自分たちへのご褒美♪
しかも一人一枚ずつ、Mサイズのピザを好きなメニューで堪能するという、もはややってることは「令和の貴族」。
プシュッ。
昼間から開けたのは、当時流行っていたアルコール度5%の檸檬堂。
喉を鳴らしてレモンサワーを飲み込み、ピザをもぐもぐと頬張ると私たちは高揚感と多幸感でいっぱい♡
すそこ様が見たら、「不健康やわぁ」「息子にはちゃんとしたもの食べさせてやって!」「手作りしないのは愛情が足らない」と眉をひそめて一発で説教だろうね、こりゃ。
今の私たちにとっては、すそこ様ご自慢の手料理よりも、どんな高級料亭の食事よりも、これが大好き! 二人にとっての「正解」の味なんだよね。
そんな時間を過ごしていると、二人の間にこんな会話が。

長い連休をダラダラ過ごすだけで、暇を持て余すかと思ったけど、意外と毎日、ちゃんと起きるし、充実してるよなぁ
こういうのもたまにはいいよね

「たしかにー。意外と朝ちゃんと起きて、夜更かしもせずに普通に寝るし。規則正しい生活ができてるよね、わたしたち。
…と言いながらピザ食ってるから説得力ないけど(笑)
ま、今日は解禁日だからいっか♪」
私たちは本当は、穏やかに生きられる権利があった
そう何気なく口にした自分たちの言葉に、私はハッとする。
”私たちは、本当は「規則正しく、健康に、穏やかに」生きられる人間だったってこと?
これまで連休のたびに体調を崩し、記憶が抜け、言葉が詰まっていたのは、私たちが未熟だからじゃなくて、ただ、あちら側の「不自然な支配」に、生命リズムを根こそぎ奪われていただけじゃない?
普段休みがなかなかとれない分、長期休暇はこうやって過ごすのが正解だったんじゃないの?”
十数年目にして初めて、自分たちの家の空気を、胸いっぱいに吸い込めた感覚。
はじめて休日に浄化して、パワーチャージできたこの新感覚。
そして、何より気づき。
え? そんなこと?って思われるかもしれないけれど、意外と後々に効いてくるのよね、これが。
このことを知らないままでいたら、こんな些細な平凡な幸せがすぐそばにあったことにも気づかなかったし、そのことを奪われていることにも気づかなかったから。
そもそも旦那ちゃんはおうちが大好きだからステイホームは彼向きだったのもあるし、
どこかに出かけなくても、こんなに充実できるんだ、ってほんとまさかの気づきだった。
ただただすそこ様に休日を搾取されるだけで、時間とお金を使って言う通りにしたところで感謝もされずに、まだまだ足りないと文句を言われ続けるだけだったからね。
この「平和」を知ってしまった以上、本音はもうあっち(支配)には戻りたくない。
でも、戻る日がいつかまたやってくる現実もいやってほどわかってる。あの姑怪獣相手には、何を言ったって無駄なことも身に染みてるから。
でもこのいつ終わるか分からない先の見えない状況だからこそ、とりあえずは今はこの状況が続いてる間は、平和な時間を堪能していたいって想いだけだったかな、
だけど、今回のメインの話はここから。
コロナ禍があったから、という単純な話だけではなかったんだよね。
でも、どれもコロナ禍が関連してたのもまた事実。
実は喧騒から離れたこの上ないこの平和な幸せな時間がとれなかった、かもしれなくて・・・
この平和の裏側で、ひとりの命が静かに消えようとしていた
わたし、みーぬ父の命の灯火が、いま静かに消えようとしているそんな厳粛な現実が、常に私の隣にあったのでした
ちょっと背景を説明すると
この1、2年はお父さんの介護に振り回されていて、最後は指定難病のIgG4関連疾患になってしまって、後腹膜線維症による腎機能の低下、体調悪化、尿のトラブル、開腹しての手術。そして急激に進行する認知症で、正直お先真っ暗。
病院からの呼び出しもしょっちゅうで入院中とはいえども、ほぼ付き添いを求められているような状態だったから、わたしもへろんへろんだったんだよね。
完全看護だったのに、付き添いを病院側から求められてた訳だから、まぁ… 本当に状態はよくないわけで。
とはいえ、ややこしい病気が引き金となって、認知症も急激に悪化していたから、入院治療を必要とする病気を理由に入院できていて、症状にあわせて転院できたりもできてたのはラッキーでもあって。
もう、介護保険を使って何とかなる段階ではなくてサポートしながらの一人暮らしは事実上破綻してたから。
入院生活は気づけば半年を超えたところで、まさかのコロナ禍突入。
一転、コロナ禍という異常事態が皮肉にも「面会謝絶」という物理的な壁を作ることになって、私と父の時間を静かに守ってくれることに。
病院にすべてをお任せし、一瞬だけ重荷を下ろすことができたその「空白」に、私はどこかで正直ホッとしてたという裏事情があったんだよね。
で、お父さんの状態は、悪化の一途をたどっていき、ついには救急病院への搬送に、延命措置の判断・そして看取り入院へとすすんでいくんだけど
そんな現実を、私はあえて義家族には伝えずに、かかりつけ医やケアマネさんとだけ深く連携し、誰にも理解されない孤独な戦いを続けていたの。
すそこ様に詳細を話さなかったのは、いけずでも隠し事でもなくて、単にお父さんの尊厳を、彼女の「好奇心」や「家のメンツ」という雑音から守り抜くための、私の最後の防波堤というか。
なぜなら、すそこ様に話したところで、状況をかき乱されるか、あるいは「鎌村家の嫁としての義務」をさらに強要されるだけだと分かっていたから。
実際、すそこ様はこれまで何度も私に言い放ってきてたしね
「あなたは鎌村家の嫁でしょ?! 何で帰ってこられんの?!」
「お父さんにはお姉ちゃんがおるやん。お姉ちゃんに任せればええやろ!」
(え? なんでそこに姉がでてくんの? お父さんのことは私がやってんのに)
自閉症の子供を抱え、必死に働いている姉の苦労も、父と二人で長年暮らしてきた私と父の絆も、彼女の「家制度」という古い物差しでは、すべて無視して、持論を強引に押し付けてくるから。
彼女にとって私は、代わりがきく「嫁」という駒でしかないのに、私の実家では私しか動ける人がいない介護のキーパーソンなのに、すそこ様はその事実を上から握りつぶしてなかったことにしてくる。
そんなことがある裏事情がある中での平穏な日々に、お父さんの命の灯火が消えようとしている今、父が看取りに入っていることくらいは伝えなければと、義務感だけで電話をかけた。
それは、父が亡くなる約一週間前。
ゴールデンウィークも終わって、数週間経った頃のこと。
義家族に話さなかった理由と、最後の電話
「もしもし……」
本当は、事実だけ伝えてすぐ切るつもりだった。
けれど、返ってきたのは、案の定あの高いトーン。
「えええええー?!」
「なんでー????????」
その遠慮と配慮のないバカでかいボリュームの品のない雄叫びに続くのが・・・

みーぬちゃん、お父さんは元気なんじゃなかったん?!
そんなに悪かったん?
なんでそんなことになってるん!???
何でなん?! どういう病気なん??
なんて病気?!
何でそんなことになってるん?!
なんでっ????
矢継ぎ早に飛んでくる詰問というか、もはや拷問。
彼女が求めているのは、お父さんへの気遣いでも、私への労いでもない。
ただ、自分の知らない「情報」を力ずくで引き出し、自分の支配下に置きたいという、病的なまでの野次馬根性なだけ。
そっとしておいてあげようという気遣い・配慮はまるでない。
しかも、「親を亡くすいうんは・・・」と持論を繰り広げてくる始末。
繰り返される勝手な自分語りを続けながらも詳細な説明を執拗に求めるすそこ様。
どうせ言ったって分からないでしょーよ… あなたが知らない病名を言ったところで意味ある? 経緯って必要? これ以上私に語らせんなよ…(-_-;)
私が静かに死を受け入れようとしていた父の存在は、関係性が深かった私には大きすぎて、すそこ様の容赦のない尋問は無理やり現実に引きずり戻して、私の感情に突き刺さっていく。
(あぁ、本当にお父さんが死んじゃうんだ)
その事実を自覚させられると突然、防波堤が壊れたように涙があふれ出していって、私は年甲斐もなく、ひっくひっくとしゃくり泣きに。
ひっくひっくと横隔膜を痙攣させながら、答えなくてはという奇妙な使命感だけで、言葉にならない声を絞り出していると
隣で旦那ちゃんが「もう、言わんでいいから」と背中をポンポンしてくれてた。
その優しさに、私はようやくスマホを彼に委ねることができたのかな?
そのへんは記憶が曖昧で覚えてないけど、ポンポンしてくれてたことだけは覚えてる。
こんなボロボロになった私の意識の底で、もう一人の私が冷静に彼女を見ていて、
(なんで、この人は私に直接躊躇なく聞いてきて、しかも・・・ 私の口から直接言わせようとするの?)
どうしても詳細が知りたいなら、身内の看取りを控えた嫁を追い詰めるのではなく、あとで自分の息子(旦那ちゃん)にこっそり聞けばいい。それが、人の心というものでしょ。
看取りを控えた嫁に、こんな追い込みをかける必要はないって、マジで思う。
彼女が放った「それならそうとなんで言わないのっ!」という言葉もなかなかにパンチがあった。
それは、私を思っての言葉ではなくて 「知らされていなかったせいで、私が『薄情な姑』に見えるじゃない。悪いのは言わなかったあなたよ」という、身勝手極まりない自己弁護にしか聞こえなかったから。
それはあくまで私がそう感じただけだけど。 でも
まぁ、、、 あとは私の肌感で感じたことなんだけど。
すそこ様の動揺の仕方から感じたのは、妙な焦りがあったんだよね。
単純な驚きというよりも、なんかそういった感情が混じっていたから。
というのも、当時からすそこ様は、子どもたちをコントロールする為に、老い先短い作戦をかましてて、年老いた親が心配じゃないんかと怒っていたり脅迫めいた発言はあったんだよね。
めっちゃ元気ピンピンなのに。
私が、父の介護のために帰省せずに実家へ残っていても、平然と「みーぬちゃんは鎌村の嫁じゃろうが!」って言えちゃうあたりが、ことは深刻だって思ってない証拠だもん。
だから、まさかの事態に動揺したんかなって。
とはいえよ?
一般常識のマナー上でも、どんな関係があったとしても、病名や死因などの詳細を尋ねることは昔からマナー違反やタブーとされてることだし、何よりそれは聞かれる方にとってはとてつもない精神的苦痛だって誰しも分かるから遠慮してるし控えるものじゃん・・・
実際に私もお父さんが亡くなる前後で、何が一番辛かったかって、今、思い返してもこの出来事だったな、って思うから。
この時↓と同じくらいのしんどさ。

それに何よりすそこ様以外には当たり前に誰からもされなかったからね。
みんな、本音では聞きたいことばかりだったと思うけど、私から言う前に根掘り葉掘り聞き出そうとしてくる人は誰一人いないもん。 ま、当たり前だけど。
だからこそ、自分の感情を優先するよりも、そういった相手を思いやることって、わたしは何より人として大事だと思ってるから。
すそこ様には軽蔑の感情しかない。
それまでの私は、いつの間にか冷静というか、現実を受け入れなきゃいけないことの連続だったからかそうせざるを得ない状況だったんだよね。
救急病院に運ばれ、もう死を待つだけという状態になったとき、私の中でお父さんはもういないな… ただ心臓が動いているだけの、言葉は良くないけど肉体という名の抜け殻だなって感じちゃってたから、もう早く楽にさせてあげたいっていう気持ちになってて。
看取りの病院へ転院する際、コロナ禍で面会謝絶だったけれど、会わせたい人がいればそのタイミングで会えるということで、最後に会ったおじさんがポツリと言った言葉が、私の心に深く、静かに突き刺さったんだよね。
「あぁ、兄貴はもう死んでしまったんだなぁ。ただ心臓が動いとるだけで、もう兄貴はここにはおらんなぁ」
私も、全く同じことを感じてたから、やっぱりそうだよなーって。
だから、病院から今日中かもと連絡がきても、
「とりあえずお風呂に入らなきゃ。しばらく入れないかも」と思ってお風呂に入ってたんだよね。
「息が止まりそうです!!」
と深夜に催促の電話が来るほど、私の心は凪(なぎ)のように静まり返っていて、すぐに駆けつけるって気持ちにはならなかった。
もちろん、のんびりお風呂に入ってた訳ではなくてすぐに出て、準備をした上で駆けつけたんだけどね。
で、病院に着くと、もう息は止まっていたけど、家族が来てから死亡確認をしてくれるから、一応看取ったことになるのかな、
実際にお父さんの死に顔を見ても、出てきたのは「お疲れさま。ありがとう。ようやく楽になれたね」という感謝の言葉だけで、涙は一滴も出なかった。
あの時はあんなに、ひっくひっくとしゃくり泣きをしたのにね(~_~;)
精神的ストレスが体に現れる時―「しゃくり泣き」というSOS
私が父の死をめぐって、涙を流したのは後にも先にも二回だけ。
ひとつは、葬儀で喪主の挨拶としてマイクを握り、父への想いを手紙として読み上げた時。
そしてもうひとつは、他でもない。お父さんが亡くなる直前のすそこ様からの「詰問電話」。
どちらも、涙というか子供のようにひっくひっくと泣きじゃくった嗚咽の涙だった。
理屈じゃないんだよね。こればかりは。
不意に、無自覚だったけれど、心臓を直接掴まれたような衝撃が走ったんかなぁ。
子どもがよくするしゃくり泣きだけど、大人も過度なストレスに晒されると、自律神経が乱れておこることがあるらしいからね。
「父がいなくなる」という事実をすそこ様の無神経な追及によって追いつめられて、トリガー(引き金)となったのかもしれない。
私の中にあった「旦那ちゃんの大切な親の情」のようなものは、音を立てて崩れ去ったという訳。
ひっくひっくと泣きながら、私の心は急速に冷えていったのかもしれない。
彼女への「底なしの軽蔑」だけが残って。
ちなみに・・・ 亡くなった後から葬儀までにも壮絶な闘いが待ってました。
それが、マニピュレーターとはいえども、私がすそこ様を見限るダメ押しになるわけです。
👉すそこ様のメンツにこだわる執念の雄たけびはこちらから。↓
![【第3章:後編】[実録]葬儀を壊す義母の「メンツ」への対処法。喪主として父の尊厳を守り抜いた記録。](https://www.inlaws.site/wp-content/uploads/2026/01/B77BE7F1-4EFC-4E18-823A-7B408E2DEBA4-320x180.png)
