人として足りないと言われた日

─「悪いようにとらないでね」の呪いと、私の尊厳の話
今回は、ちゃらけゼロです。
でも、どうしても記録に残しておきたくて。
わたしは普段、義母とのアレコレを“笑える観察記録”として綴ってるけど、
この出来事だけは、いまだに笑えません。
笑いもネタもないけど、
これは、私が自分の尊厳を守るために書いた記録です。
よかったら読んでいってください。
私たちは、子どもがいません。
私はこどもも好きだし、旦那ちゃんも欲しがっていたから、結構な高度な不妊治療もしたし、ほんとに授かりたかったけど…結局できませんでした。
で、辞める時は悩んだし勇気も必要だったけど、ふたりで話し合って、「じゃあもう、ふたりで楽しく生きていこう」って決めた。
それがうちの在り方。
「責めない」けど、じわじわMPを削られる会話たち
姑は、子どもがいないことを責めたりはしてこない。
本当に、それはしない。
表立って何か言うとか、追い詰める的な事もあからさまな意地悪なことは一切しない。
でも、代わりに「会話の布地にじわっと混ぜてくる」のよ。
- 「孫がいたらなぁ…って思うこともあるけど、うちは息子2人おるけど孫はおらんからなぁ」
- 「孫の習い事の送迎、うらやましいわ〜と思うときもあるんよ」
- 「まことは子どもが好きじゃないけど、お兄ちゃんは子どもが好きじゃから、子どもがおればお兄ちゃんも喜んだろうになぁ」
- 「○○さんは子どもがおられんけど、上手に暮らしておられるんよ」
……って。いや、枕詞で毎回言う必要ある?
責めてないけど、その一言でMPがジワッと削られるんですけど…
それに、クソ兄貴は関係ないでしょーが!!! まことくんの気持ちも知らないで…。
「それでも私は恵まれている」と思ってた私に、投下された爆弾
まぁ そんなんでも、まだ子どもができなくて離婚を選択する人だっているし、本当に苦しめられてる人からしたら私なんて全然恵まれてる方かなぁ、とは思ってた。
そんなある日のこと。
すそこ様が事前通告なく、突然爆弾を投下してきた。
Kさんの話から始まった、まさかの人格否定
すそこ様は、自然災害で床上浸水に遭った際に、その時にはいろんな人に助けられて救われた、って話をしていた。
「Kさんっていう、子供さんがおられん人がおるんじゃけど」
なぜか、その人の話をする時に、必ず「お子さんがおられん」という説明をつける。
何年も聞かされ続けてれば、こっちもすそこ様周囲の登場人物の名前は覚えるし、私にその説明毎回いる?って地味にモヤる。単に名前だけで言えや。
「今回は、おかあさんのところが大変な目におうたから、ほんまに心配してくれて、2週間毎日高価なお店のお弁当を持ってきてくれよったんよ。ほんまになかなかできることじゃない。Kさんという人はほんまにええ人で、とっても優しい人なんじゃ。」
ふんふんと聞いていた私に、爆弾が投下された。
「でもなぁ それでも、おかあさんから言わせるとKさんにもやっぱり思うところはあるんよ。
Kさんは、いい人なんじゃけど、やっぱりお子さんがおられんから、人として足りない部分があるんよ」
は???
「悪いようにとらないでね」という、ずるい呪い
それで、終わるかと思いきや、すそこは話を被せてくる。
「悪いようにとったらいけんよ。悪いようにとらないでほしいんじゃけど」
「みーぬちゃんにもそういうところがある。
やっぱり、子どもを産んで育ててない人っていうんは、人として足りないところがあるとおかあさんは思うんよ」
その後も言葉が続いていたと思うんだけど、もう何を言ってるのか言葉が聞こえてこなかった。
はっ、と我にかえったら、もうなんというか私の中でプチン!
と張り詰めていた糸が切れたというか、すそこ様に対しての罪悪感とか、そういう思いが全部プッツリと切れた。
この人、正気???
怒りや悲しみを通り越し過ぎて、もう人として軽蔑しかない。
あなたのその前置きで、何が起きたか知ってる?
「悪いようにとったらいけない」、
と言われたら、悪いようにとった私が悪いという意味になる。
つまり、悪いようにとることさえ許されないということ。
しかも、「悪いようにとらないで」と言っておけば、あとから
「え? 悪いようにとらないで、って言ったよね?」
と逃げられる。
それに…それって、悪いようにとられてもおかしくないってことを、あえて分かった上で、言ってるってことだよね???
欠陥扱いされた私たちの尊厳
だいいち、それって
子どもがいない=欠けてる、人間的に未完成ということ?
私たちの場合に限っては、望んでもできなかった訳です。
欲しくてもできなくて、どうすることもできなかった。
自分の努力と医学では立ちいかず、現実を受け入れるしかなかったのに。
そんなどうしようもないことを言われたところで、私たちにどうしろと?
理解できない=未完成、ではない
たとえば、「子どもがいない人には分からないよねー」と言われる分にはその通りだし、別に私はなんとも思わない。
子育ての大変さは、経験したことのない私たちには本当のところの理解や共感はできるはずがないのだから。
だけど、そうじゃない。
人格の話にすり替えて、「足りない」と言ってきた。
それは尊厳の否定。
欠陥人間扱い。
私は、このことを一生涯、許すつもりはありません
謝ればすむことではないし、
謝れば許されると思ったら大間違い。
実際、旦那ちゃんが義家族から吊し上げにあった時、思わずそのことをポロッと吐いたらしい。
その後、席を外していた私が戻った途端に、姑が突如謝ってきた。
「私はみーぬちゃんに酷いことを言うたんやね?」
「おかあさんはそうなことを言うた覚えはないんじゃけど、それでもおかあさんはみーぬちゃんに酷いことを言ったんなら、本当に悪かったと思ってるんよ」
「許してくれんかなぁ?」
私は、謝罪さえも受け取らなかった
私は隣にいた旦那ちゃんをキッと睨んで、心の中でこう叫んでた。
「なんで言うのよ!!!!!それは言ってほしくなかった!!!!!!」
でも、姑には
「え?なんのことですか?」
とシラを切った。
姑は話を続けてこようとしたけど、私は最後まで意味がわかりません、ととりあわなかった。
「あのすそこ様でさえ白旗を上げた」ことが、すべてを物語る
頭の回転の速いすそこ様だからこそ、「これは言い逃れが絶対にできない」と感じたんだと思う。
いつものように言い逃れもできず、すり替えもできない。
だからこそ、いの一番に謝ってきた。
でも、私は
“謝らせてあげなかった”。
「許してやれよ」の空気は、絶対に作らせない
もう、許してやれよ…。なんていう空気は絶対に作りたくない。
そのくらいの権利は私にあってよくない?
百万歩譲って、子どもがいないと大人になれない。子どもを育てて初めて一人前の大人になる、って意味合いだったとしても、それは言うべき人を間違ってるし、そもそもあの発言は人に対して言うべきことでは絶対にない。
最後に思い出す言葉
昔「ボクらの時代」で中井貴一さんが言ってたセリフ。
「神様が存在するなら、子供を持つことで大人になりなさいと言う人には子供を与え、
子供の頃から背負うものがあって大人にならないといけなかった人には与えない、と采配している気がする」
もう、泣けちゃうよね、こんなの。長倉和平ーーーー!!! (違うか)
けど、いいこと言うよねー。マジで。大好きなドラマが11年ぶりに戻ってきたこのタイミングで、このブログ記事でこの文言を書くとは…。余計に感動しちゃう。
当時もあまりにも印象的で忘れられなかった。スマホに思わずメモっちゃったよね。
