【第6章】痛みに弱い夫と、じゃれ合い文化がなかった家

義実家という観察対象 ~第6章
〜肌と肌で育たなかった息子と、身体的コミュニケーションの欠如〜
じゃれ合いが通じない夫の違和感
私は、体を張ったコミュニケーションが好きなタイプ。
ちょっと上に乗ってみたり、くすぐってみたり、軽く小突いたり——
そんな“スキンシップを兼ねた遊び”の中に、愛情がにじむと思ってた。
でも、まことくんにはそれがまったく通じない。

「痛いっ!」
「変態か!」
「マジでやめて!!」
本気で嫌がる。
冗談が冗談として通じなくて、
ただ「嫌なことをされた」という記憶だけが残ってる。
私にとっては仲良くなるための触るスキンシップの“じゃれ合い”が、
彼にとっては“ただの攻撃”。
その反応が、ずっと不思議だったんだよね。

「なんで? なんで? なんでーーー???」
痛みへの反応が異常に過敏な理由
テレビで手術のシーンが映っても、
女子プロレスの激しい試合が流れていても、
彼の口からは、反射のように声がもれる。

「いたたたたた……」
「うわっ、痛い……」
「ぎゃーーー! 無理!!」
その反応は“共感”というより、もはや“投影”に近くて。
まるで、自分が痛めつけられているかのように感じているご様子なのよ。
そして私は、ふと気づいちゃったんだよね

——この人、人生で一度も「痛みを通じた愛情」を経験してこなかったのかもしれない。
鎌村家には、スキンシップという文化がなかった
私の実家では、
- お父さんにお尻を甘噛みされたり、
- 頬にチクチクのヒゲをすりすりされたり、
- プロレス技をかけられて、きゃーきゃー言って笑い合ったり——
そんな「痛みと笑いが混ざった愛情表現」が、あたりまえのようにあった。
でも、まことくんの家にはなかったと彼自身がそう言っていた。
親子間も、兄弟間も、
触れ合うという文化そのものが、そもそも存在せず。
「プロレスごっこ」も、「くすぐりあい」もない。
つまり、身体を使って関係性を育てていく“距離の取り方”そのものが、鎌村家にはなかった、と。
私は昔、幼児教育を学んでいたから、
幼児期の「肌と肌の触れ合い」がどれだけ人格形成に影響するかも知っているんだよね。
うちは……まぁ、極端だったかもしれないけど(笑)、
それでも、肌を通して愛情を伝えることは“文化”だったと思う。
※参考:
幼児期のスキンシップは、
・愛情ホルモンであるオキシトシンの分泌を促し
・情緒の安定
・自己肯定感の向上
・ストレス耐性の強化
……など、心身の発達に不可欠なもの。
“痛み=危険”としか認識できない脳回路
彼にとって、“軽い痛み”は愛情なんかじゃない。
ただの恐怖であり、不快なものでしかない。

「冗談だよ〜」
「遊びだってば!」
そう言っても、まことくんには響かない。
本気で嫌がる。逆に距離が生まれて、近づこうとしたぶん、引かれる。
まるで——彼の人生の中に、「じゃれ合い」という概念が存在していないみたいに。
彼は家族から叱られたり、束縛されたりすることはあっても、
- 愛あるげんこつ
- おしりぺんぺん
- わざとふざけたプロレスごっこ
……そんな“体を張った親の愛情”を一度も経験していない。
昭和の頃なら、そういう日常ってよくあったと思うんだよね。
もちろん本気で痛めつけるわけじゃなく、親もちゃんと加減してた。
今で言えばアウトかもしれないけど、
当時はそれがパフォーマンスのように愛情の一部だったもん。
子どもも、幼いながらになんとなくわかってて
怒られても、“自分のため”ってわかってたし、
叩かれても、ほんとは親のほうが胸が痛かったのかもしれない、って思えてた。
そういう“信頼と体感”が、ちゃんと通じてた気がする。
でも、鎌村家にはそれがなかったんだよね。
“時代を先取り”していたというより、“まったく別文化だった”という感じ。
肌と肌が触れ合うコミュニケーションそのものが、一切なかった家庭。
だから彼の中で、「痛み」とはイコールで“怖いもの”“拒絶の合図”として刷り込まれてしまったのでは?
で、なんて言えばいいんだろう……
まことくんって、優しいんだけど、どこか冷たいところがある。
ストレスにも弱くて、顔色をうかがうような場面が昔は多かった。
いつも、**「正解を出さないと責められる」**みたいな空気をまとっていたんだよね。
愛情は「言葉」と「干渉」でしか受けてこなかった
鎌村家の“愛情表現”は、主にこの2本柱。
- 「かわいいかわいい」の言葉攻め
- 「心配だから」「大事だから」と言って世話を焼く、干渉の連打
つまり、「触れる」ことによる愛情ではなかった、ということ。
肌と肌のふれあいなんて、彼にとっては遠い国の風習のようなものだったんだろうな。
たとえば。
ウニ男のあぐらに入って、膝の上でちょこんと座るとか、
兄弟でプロレスごっこをしてじゃれ合うとか、
そういう景色はまったくなかったらしい。
私がされて嬉しかったこと。安心できたこと。
触って・触られて「イヤー!」と言いながらも欲しがるみたいな、そういった類いのものを、彼は経験していない。
だから、わからなくて当然だったんだけど、
でも、“くすぐったい”も、“たのしい”も、“笑い合う”もなくて、
それがただ“嫌なこと”としてしか残らないのは、やっぱりさみしいもんです。
エピローグ|夫婦の「育ちの交差点」で、今できること
私は、彼の嫌がることをしたくない。
でも、私にとって「触れる」「遊ぶ」ことは、間違いなく愛情のかたちなんだよね。
だから、ほんの少しずつでもいい。
一歩ずつでいいから——
私の世界を、彼に分けていけたらと思うんだよなー…
たとえば、痛みを伴わない、やさしいスキンシップから。
ツンツン突いたり、寄りかかったり、柔らかい身体のお肉をつまんだり。
くすぐったくて、照れくさくて、でもどこか心地いい、そんな感覚を一緒に育てていきたいわ。
それはきっと、彼にとっての“新しい育ち直し”になるかもしれないし。
そして、願わくば。
「痛い」から始まる拒絶じゃなくて、
「くすぐったいね」
「なんか照れるね」
「でも、なんか楽しいね」
「……幸せだね」って、笑い合える時間に変えていけますように。
義実家の構造はひと通り観察したので、とりあえずこれにて一旦終了。
次回は、モヤ家事件ファイルをお送りします。
モヤ家事件ファイル No.01|結婚指輪、カツオ車内にて失踪中。数年経ってもまだ発見されず。〜落ちたのは指輪、折れたのは信頼〜です。お楽しみに―