正論はわかってます。それが通じない世界にいるってことだけ知って欲しいの巻。

みーぬ

〜テンプレ助言が、モヤを深くする理由〜

⚠️ 注意:ここから先は、“常識が通じる世界の住人”には不快な記述を含む場合があります。
「帰省がしんどい? そんなの旅行に行く予定があるって言えばいいじゃん♪」と軽やかに言える方は、そっとブラウザを閉じてお帰りくださいませ。
これは、「それができない世界」で暮らす人間の記録。


気持ちの分からない方。ありきたりな助言はお控えください。

相談したくて勇気を出して口を開いても、返ってくるのは“テンプレ助言”ばかり。
「頻度を減らせば?」
「旦那さんに言ってもらえば?」
「旅行ってことにして断ればいいじゃん」

……うん、わかってるよ。
こっちだって、最初の最初から百も承知。

でもね、それが通じないから困ってんのよ!!!!!!


「それが言えるような姑なら、最初から悩んでねーわ!」

この一言に尽きる。
こっちは、常識も正論もまるで通じない、通訳が必要な世界で生きてんのよ。

例えば…

「あんたらのとこに行っても泊まらずにホテル取るから。お嫁さんに苦労はかけさせんよ〜」
と笑顔で言っていた義母が、2ヶ月後には布団を車に積んで、夫婦ともども高速4時間以上かけてサプライズ来襲。

「布団、持ってきてあげたんよ〜 気遣わんでええからね」って、善意まるごと詰めて。

いやいやいや、アポもなく突然、布団ごと不法侵入??
警察に通報したいくらいの心境。あ…民事不介入か。残念。
しかも“してあげてる感”を前面に出してくる厚かましさ。ほぼストーカーの思考だし。

今なら、「おとうさんたち、布団だと寝起きが大変なんでベッドのホテル取ってありますから」って布団ごとスルーできるようにしれっと言えるけど、
当時の私は、とてもじゃないけど何も言えなかった

仮に、「今日は予定があるので…」って言ってみたとしても——
「ええんよええんよ、私らあんた達の家で待ってるから」って、
無神経に居座るのがすそこ様。

いやいやいや、自分たちがいない家で姑たちが探検開始とか、地獄以外の何ものでもないわけで。
想像しただけで恐ろしい。下手なセリフは言えません・・・


テンプレ助言って、なんかこう…「アドバイスごっこ」なんですよね。

こっちはね、

  • 言ったら怒鳴られる
  • 断ったら責められる
  • 何をしても「気遣いが足りない嫁」にされる

そんな見えない地雷畑を、毎日そろりそろりと地雷を踏まないように歩いてんのよ。

その感覚を知らずに、
「気にしすぎじゃない?」「そんなに嫌いなの?」
って、軽く言われたら……

みーぬ
みーぬ

うん、マジで言わなきゃよかった…

更に落ち込むのですよ。

くっそぉぉぉ、、、 モヤモヤするぅ!!


ニュースにもある、同じ構造。

絶対的な立場の人からの誘いって、簡単には断れない。

たとえ「断ってもいいよ」と言われても、
実際には“断りづらさ”を強化する言葉が混じってる。

  • 決めさせるフリをして責任を押しつけてくる
  • 甘い言葉で「断れる気にさせて」油断させる

事件と比べるのは不謹慎かもしれない。
だけど、“断れなかった構造”という意味では、同じものがそこにあるって私は思う。


「断れなかった私が悪い」と思わせてくる世界。

行きたくなかった。でも一度「行く」と言わされてしまったら、もう断れない。
そういうことって、あるあるだと思う。

「嫌なら断ればいいじゃん」っていう人がいるのも、もちろんわかってる。
でも、断れない事情や背景を抱えてる人だっている。

それはわがままでも弱さでもない。
生き延びるための防御策だから。

でも、その気遣いや配慮を逆手にとって、
「自分で選んだよね?」と責任を押しつけてくる構造がある。
それが私は許せない。

すそこ様の場合は、巧みにそういった布石を敷いて、既成事実化に成功した。

既成事実にさえしてしまえば、もうこちらのものと言わんばかりに手のひら返しをして恐怖政治にした。もうやりたい放題よ。


私が欲しかったのは、アドバイスじゃない。

本当に欲しかったのは、
「それ、しんどすぎだよ!!!」
「それ、どう考えてもおかしいでしょ!!」
っていう、至極まっとうな声。

それだけで、救われることだってある。強くなれたかもしれない。

なぜか世の中は、「共感」より「提案」してくる人の方が多くて、
その提案がまた正論だからこそ、こっちは余計に責められてる気になるんだよね。

そして、モヤはさらに深くなる。


「言葉はやさしく、圧はしっかり」——それが一番えぐい。

「気遣わなくていいよ」
「好きなようにしてね」

——って言われても、結局こちらに気を遣わせてくる構造。

断ると、泣かれる。
言い返すと、怒鳴られる。
気を遣えば、水くさいと詰られる。
断らなければ、「やってあげた」と言われる。

何かされたら、とりあえずお礼。
望んでないことでも、してもらったらお礼。
だって、お礼を言わなかったら文句言われるんだもん。

これは感謝の気持ちどころか、礼儀の心境で仕方なくやっていた処世術
本当に感謝してると思っていたら、おめでたい。…社交辞令なんだよ、こっちは。

逃げることができなくて、この世界で生きていかなきゃいけないから。
だからこっちも理不尽を感じながらも無理をして合わせていただけなんだから。


エピローグ:だから私は言う。正論は通じないって。

……ここまで書いても、たぶんまだ
「でも、それでも話せば通じることもあるよ」って真顔で言ってくる人はいると思う。

うん、それができる人は幸せな世界で生きてる人なんだよ。

でも、こっちは——
通じると思って話した結果、怒鳴られ、泣かれ、そして「息子が変わってしまった」と責められた側。

だから、私は言い続ける。

正論が通じる世界があるのは知ってる。
でも、通じない場所も確実に存在する。

最後に、正論を振りかざしてくる方へ一言。

そのアドバイス、
常識の通じる世界でだけ
元気に使っててください。

こっちは毒吐いて、生き延びてるんで。

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結局、マウントをとりたいだけ。〜老いを受け入れられない姑と、私の達観未遂〜
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みーぬ
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観察系記録ライター
義母との複雑な関係をきっかけに、 “家庭”という名の舞台に仕込まれた違和感を見逃さず、 観察・分析・記録を始めました。 このブログでは、 心を守るための言葉を綴っています。 最初は、誰にも言えない気持ちの吐き出し。 でも、記録しながら自分の感覚を取り戻し、 今は“自分で自分を守れる言葉”を紡いでいます。 私にとって「書くこと」は、 日々のズレや不安から自分を切り離す、小さなサバイバル術です
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