“帰ってこんでいい”は、“見なかったことにしたい”の意。(三部作シリーズ③)

〜姑語の翻訳マニュアル〜
「帰ってこんでいいよ。」
その言葉、ほんとにそのまま受け取って大丈夫?
作戦名:子宮筋腫2025GW。

わたしが日帰り手術を理由に帰省を回避できるよう企てたLINEから、なんの心配LINEもなければスルーされること1週間。
それに対して、あえて私ではなく、旦那ちゃんへと義母・すそこから返ってきたLINEがこちら。

「まこと。元気にしているかな。
連休は帰ってこなくていいよ。
まこと達が元気にしているだけで、お母さんはそれでいいのだから。
帰ってきたい時に帰っておいで。
お父さんは87歳、お母さんは80歳です。
連休だから、お盆だから、お正月だからとあんた達をお母さんはしばっていたのかなー?
親であれば、子どもの顔くらい見たいと思っていたのだけどねー」
「少しさみしい?」
一見、とっても優しい言葉。
怒鳴ってもこないし、感情の嵐もないし、
嫁としては…正直、**「あれ?今回はなんかやさしい…?」**って思っちゃう。
でも。モヤりませんか? このLINE…。
あらゆるところが気になる。そもそも、私、帰らないとは言ってない。
日帰り手術をするから、念のための安静でゴルフは控えるように言われたという話をしただけ。
本当は黙ってようと思ったけれど、急に言ったら迷惑をかけることになるので、婦人科系のことで言いにくいこともあり、おかあさんにだけ伝えることにした、とLINEで嫁からLINEで伝えただけよ。
で、これです。
わたしの観察センサーは、全力で警報を鳴らしていた。

これは、“やさしさ”なんかじゃない。これがすそこ流の圧のかけ方で、コントロールする手法
姑語 翻訳マニュアル、起動します。
では、姑・すそこのLINEを一文ずつ丁寧に、
みーぬが全力で翻訳します。
■「まこと、元気にしているかな?」
→ 翻訳:
「相手の体調や状況への配慮ゼロスタート。」
これは、明らかに「病気や手術の話なんて聞いてません」アピールでもある。
みーぬの言葉をあえて無視したことで“なかったこと”にする無言のメッセージ。
■「連休は帰ってこなくていいよ。
まこと達が元気にしているだけで、お母さんはそれでいいのだから。
帰ってきたい時に帰っておいで。」
→ 翻訳:
「“許してあげる風”の上から目線。」
- “許可”ではなく、“私は一歩譲った”というポジション
- あとで「こっちは気を遣ったのに」と言える準備をしてる
- 「来なくていい」と言いながら、「元気なら来いよね」が全体のトーン。
しかも、“あんたたちの都合で自由にしていいよ”という皮をかぶった、棘入り配慮ゼロ。
■「お父さんは87歳、お母さんは80歳です。」
→ 翻訳:
「出ました。高齢カードによる罪悪感操作」
- これは最近頻度が高い「老い先短いアピール」兼「もうすぐ見れなくなるかもよ圧」。
- 後から後悔してもしらないからね、と老いと死の脅し。
■「GWやお盆や正月だからって縛ってたのかな〜」
→ 翻訳:
「連休に帰省するのは、鎌村家のルールじゃなかったの? 嫁に洗脳されて、私のかわいい息子は変わってしまったわね… わたしの常識が通じないなんて、さみしい話よね?」
- “わたしも反省してるふう”を装いながら、長期連休に息子が帰ってくることを望むことってそんなに悪いことなの?と被害者感を出してきてる。
- 今まで、連休に帰ることは既成事実だったよね?「鎌村家のルールだ!」と絶対王政を振りかざしてたけど、急にしおらしくなって、またしても被害者感を出してくる。
■「親であれば、子どもの顔くらい見たいと思っていたのだけどね〜」
→ 翻訳:
「どんな理由があっても、わたしには見る権利がある」感情的なトリガー投下。
- “親なら”で情を揺さぶりつつ、
- 見ない選択肢を“冷たい行為”に仕立てあげてる
- 「連休に帰らない」というあんたたちは親の気持ちも知らないで!と親不孝感を出して責めている。
→ ここ、最大の地雷ポイント。
完全に“善意の仮面をかぶった”責めです。
ここで重要なのは、「だったのだけどねー」という過去形+語尾の曖昧さ。
→「私は悪くないけど、あなたのせいで残念だった感じ」演出。
■「……少しさみしい?」
→ 翻訳:
「相手に“罪悪感”のボールをパスする最終トラップ。」”ほんとにそれでいいの?”
- 最後のワンクッション。
- 返事を求めてないようでいて、**「返さなきゃいけない空気」**を作り出してる
- ここで「うん、ごめん」って返すと、すそこの勝ち確演出完成
◆みーぬの観察レポ:
「“姑の私は可哀想”で息子夫婦を責めるミュージカル
(脅し・被害者ぶり・曖昧な哀愁)」
そして、このLINE、最大の違和感。

わたしの名前も、体調のことも、一切触れてない。
全部、夫・まことくんに対しての言葉で完結してる。
…それってつまり、
嫁(わたし)を、最初から“存在してないこと”にしてるってこと。
これは偶然じゃない。
“わたしを飛ばして話を進める”という、明確な意図がある。
連休不参加の正当性を揺るがす“思いやりのない嫁”の印象を演出し、
子宮筋腫の話を「なかったこと」にすり替えて、
すそこの気持ち”にまことくんを引きずり戻すすそこなりの演出プラン。
なぜって?
このままだと「嫁が主導権を握った形になる」から。
それが、すそこには耐えられない。帰省しないことよりもそれが何より耐え難い。
で、すそこが選んだ戦法はこれ。
- 気遣える姑ポジションを装う
- 「嫁が決めたこと」ではなく「自分がそう言った」ことにする
- しれっと罪悪感を混ぜて、“やっぱり帰ったほうがいいかな…”と思わせる
もうね、
**“言い逃れができるギリギリの線を、毎回突いてくる”**んです、この人。
◆「黙っている」も、姑語です。
で、さらに厄介だったのが――
このLINEに対して、まことくんが返したメッセージにも、
すそこからは“返信なし”。
はい出ました、沈黙型の情圧。
これはもう、こういう意味。
「その話は、なかったことにしてね」
つまり、**「嫁の主導権も、夫の変化も、受け入れてないよ」**っていう、
“黙ることで支配”の高度テク。
でもね、この作戦はちゃんとした締めがあるのがミソ。
何故なら、すそこの誕生日が5月×日にある為、誕生日プレゼントをすそこの誕生日に贈る流れ込みでの作戦なんです、これ。
つまりは、他の家族誰からも(男性陣)誕生日を祝われることがないすそこに、GWに帰省しないことで不満を持っている息子夫婦からプレゼントを贈られてくるわけです。
文句言えるもんなら言ってみてー!てな感じです。
そして、おそらくお礼のアクションはなんらかの形で来るはずだから。
そういうわけで、いつもすそこがやりがちな嫌味や話のすり替えをされて、私たちが後味を悪くすることを回避できた!という訳です。
まとめ:姑語は翻訳すべし。
やさしい言葉=本当にやさしいとは限らない。
- その言葉が「どう使われているか」
- 「どこに圧が仕込まれているか」
- 「誰を見ていないのか」
…を読み解けたら、嫁の精神コストは劇的に下がります。
最後にひとこと。
“帰ってこんでいいよ”は、
“嫁からのLINEを見ないことにするよ”と、ほぼ同義。
