【第1章・後編】「育てたんじゃなくて、囲ってただけだった件」

みーぬ

〜“よう働いた”が最強免罪符になる家、あります〜

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【第1章・前編】それ、愛情じゃなくて“所有”だった件。
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「私は強制してないよ?」という仕組まれた企み

すそこはいつも言う。

姑すそこ
姑すそこ

「絶対に帰って来い!なんてお母さんは無理やり言ったことないじゃろ?」
「あんたたちから帰ってきてくれよったんじゃが〜」

はいはい。
でもね、毎回こう聞いてくるんだよね。

  • 「今年の休み、いつからなん?」
  • 「何日から帰ってこれるん?」
  • 「こっちには何日いられるん?」
  • 「何日から仕事なん? それなら何日までおられるんじゃろ?」

ねぇ、もう**“帰る前提”で会話しちゃってんのよ**

こちらの意思を確認してるようで、絶妙な圧を与えてくるし。
私達に予定を入れることさえできなくしてる巧妙なわな。
罪悪感を植え付けてくるんだなぁ・・・ これが。
新婚当初は、こっちも悪く思われたくないから、ちょっと無理してんのよ。


じわっと染み込む“空気型支配”

当初は命令はしない、でも従わせる。

「気のせいかも? でもな・・・」
と思おうとしたけど、気にせずに反抗するのがなんか恐ろしかった。

わたしら夫婦は「まぁ 反論したらしたでもっと面倒だし…」と
長年その空気に戦うことなく順応というか迎合してきたわけです。

でも、時が経てば経つほどに状況が悪化してきて
義実家はやりたい放題。
それなのに感謝されるどころか、まだまだ足りない!と糾弾までされる。

で、
その結果どうなったかというと…


姑すそこ
姑すそこ

「連休に帰ってくるのは、鎌村家のルールじゃから」

えっ、なにそれ初耳。
数年で空気が言語化されてるーーー!

しかも既成事実扱いになってるやーーーん!!!

でも、このセリフを最初に聞いた場面があくどいというか、
悪気があるんだかないんだかなんだよね。

というのも、私達に言うんじゃなくって、ゴルフ場でたまたま会ったすそこの知人に向かって言いだした台詞だったから!!

私達に口をはさむ隙を与えずに、着々と脚本を作り上げるすそこ劇場。

一旦、口にしたらもうそれは罰則付きで法制化される。
それからは、何度も何度も私たちにむかってその呪文を唱え続けてくる。

予定を入れたら入れたで、非難される最強の盾を作られちゃってた。

で、実際に罵倒される。(経験済み)
親不孝と罵られ、何故だかこちらが悪者の加害者に仕立てられるこの理不尽さといったらない。


夫・まことの“思考回避スキル”、MAXだった件

みーぬ、ある日、まことくんに長年気になっていたことを聞いてみた。

みーぬ
みーぬ

「ねぇ、なんで今まで長期連休、
1回も帰省を疑問に思わなかったの?」

すると、まことくんの返答はこう。

だんなちゃん
だんなちゃん

「え? 普通だと思ってたから」

きたよ、きたきた。
 ”普通”という人ほど、普通じゃないやつ。
“考えたことすらない”思考停止だったかー・・・

自分が普通だと思ってたから、不思議にも思わなかったって
罪なことするなー、マジで。
すそこさんよ・・・


「それ、おかんに聞いて」文化

結婚してナチュラルに驚いたこと。
それがこれ。

だんなちゃん
だんなちゃん

「え?それは、おかんに聞いて」

いやいやいやいや、
今それあなたがやってることじゃん!?

自分で理解してなくても、やってる。
説明はできない。でも動く。
それってまるで…

みーぬ
みーぬ

“プログラムされた家族ロボ”やないかーーーい!


教育を履き違えた家庭の果て

私は児童教育を学び、免許も保持してる。
だから机上ではあるものの多少の知識は持ち合わせてるからこそ言える。
これは、「育てた」のではない。
「考えさせずに飼いならした」だけだって。

  • 自分で考えない
  • 自分で決められない
  • 間違える経験がないから自己肯定感が育たない

まさに、

“失敗しない”けど“自立もしない”人間の完成形。
最近よくいわれる主体性のないおとなの出来上がり。


でました、“よう働いた”による無敵モード

すそこはよく言う。

姑すそこ
姑すそこ

「私は子育てしながら、誰よりもよう働いてきた!!!!」

ドヤ顔つき。毎回会うたびに聞くおなじみのセリフ。

でもちょっと待って。
それ、全国の親たちみんながやってますけど!?

どうということもない当たり前にみんなやってることだから特段アピールしてないだけで。
言ってないからやってない訳じゃないよ?

それなのに、すそこの「よう働いた」が
**「だから私のやり方は正しいし、私は凄いでしょ?」**っていう
超強力な“免罪マント”として使われてしまっているこの構造。


家族たちはもはやこう。

  • 「おかんには逆らえん」
  • 「あれだけやってきた人は他にはおらん」
  • 「おかんの言うことが正しいに決まっとるじゃろ?」

はい、思考の終着駅。
**「すそこ=正義」**というラストダンジョン。


まとめ:それ、愛じゃなくて「囲い込み」です。

“いいお母さん”の仮面をつけた支配。
“よく働いた”の美談を盾にした服従構造。
そして、思考と選択を奪われたまま、
“従順な息子”が完成していく。


私も“嫁”というペットじゃない。
ましてや、感情圧で操作されるマリオネットでもない。

みーぬ
みーぬ

人間として、ただ、尊重されたいだけだっつーの!!

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みーぬ
みーぬ
観察系記録ライター
義母との複雑な関係をきっかけに、 “家庭”という名の舞台に仕込まれた違和感を見逃さず、 観察・分析・記録を始めました。 このブログでは、 心を守るための言葉を綴っています。 最初は、誰にも言えない気持ちの吐き出し。 でも、記録しながら自分の感覚を取り戻し、 今は“自分で自分を守れる言葉”を紡いでいます。 私にとって「書くこと」は、 日々のズレや不安から自分を切り離す、小さなサバイバル術です
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